ノンデュアリティしかない

ノンデュアリティしかない世界に個人が現れた

個人とは思考のことです、思考が無ければ基本今もノンデュアリティの世界が広がっています。するとこの個人は存在理由がなくなってしまいますから思考を湧かしてそこにしがみつき個人を主張します。すると自然と世界が重苦しくなっていきます、そこで思考の出番です、この重苦しい世界、人生をいかにするかと思考がフル回転するわけです。そしてまた重苦しさが続きます。思考とはノンデュアリティの世界に個人を作り出し重苦しさを生み出す母なのです。

思考を放置すればいつでもノンデュアリティ

思考が湧いてきたら放置する、思考が湧いてきたら放置する、、、これをしているとこの世から自分が居なくなります。すると不思議なことにこの世が軽くなっていきます、、、自分が居ない世界が軽いとは何事か???ですがそもそもがこの世はノンデュアリティしかなく軽さでしかないのです。そこに自分が突然現れ重苦しい世界を創造しました、、その大元こそが思考です。だからこそ思考を放置していると世界は軽くなっていくのです。

五感に集中する

人間の五感は今しか機能しません、今飲んだビールがあとで味がする、、そんなことはあり得ません。と言うことで人間の五感は今にしかなく、、、この今こそがノンデュアリティです、無心無我です。五感を感じる瞬間思考は機能しません、だから思考は五感が働いた後に湧き出しそこからの乗っ取りを企てます。ですがそこに乗らなければひたすらに五感の世界が続きます、つまりノンデュアリティ、今、無心、無我が続きます。そこは平和、歓喜、安堵の世界です。

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