何一つ否定するものがない=ノンデュアリティー

否定するためには否定する対象が必要

何かを否定するためには先ず否定する「自分」が必要になります。さらに否定するための「対象」が必要になる。そして否定する対象があるならば肯定する「対象」も必要になる。こんな具合で否定とは分離世界でしか成り立たないということです。つまり否定をしている時点でそれはノンデュアル、非二元ではないということになります。非二元とは「対象」となる分離した存在が何もないということです。非二元を生きるとは対象が何も無い世界を生きるということになります、つまり完全なる一なるエネルギーそのもになるということです。これが究極の悟り、大悟です。

何十年間分離を学んできたのだから

我々は生まれてきてからひたすらに分離を学んできました。物に名前を付けてひたすらに分離を続けてきた、、結果相当数の名称を覚えその分だけこの見える世界は分離を極めたのです。何十年間かけての分離マスターです。そしてそれに辟易したならば、、融合マスターになればいいのです。融合マスターとは悟り、覚者です。徹底的に学んできた名称をカテゴライズしていき俯瞰していきます、俯瞰して俯瞰して情報が整理されていきますと、、つまり情報が融合されていきますと、、最後はたった一つのエネルギーに見えてきます。たった一つのエネルギーが秩序を持って最高のアートを描いていたのが理解できます。目の前に常に最高のアートが現れた状態になります。

分離マスターから融合マスターへの道

悟りを目指すということは単純に融合マスターを目指すことになります。これまで学んできた情報の究極の整理です。「要は、、」「端的に言えば、、」「とどのつまり、、」情報を伝えるのが上手い人は必ずこれをします、、分かりやすい説明とは、、情報の整理のことです。このマスターになっていくのです、、、悟りを目指すとはこのことです。覚者は、、、見ている世界をそのまま表現しますが、、、あれを理解できたら苦労はしない、、、我々分離世界を生きている人間は徐々に情報を整理していくことで同時に見ている世界を整理していきます。情報整理、情報融合の行き着くところは悟りです。

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