先ずは空を知る、次に色の素晴らしさに目覚める

空を知って驚き、色の素晴らしさを再認識する

人はこの世の真実を知ったときに驚きます、実はこの世は空の現れで見える世界は空が色として現れているだけ。本質は空である、、だから実は何もないということを知ります。この衝撃は凄まじくこれまで超現実と思っていたこの視界が実は空の現れであるということです。何もない、、、ただそれを在るように見えているだけ。ということになります。

実は何もない、、、からの

究極を言ってしまえばこの世は無です。何一つ実態のないものの現れです、ですから我々のこの経験も体も思考も感情も何もかもが実態のないものから生まれてきているのです。この事実を知ることは虚無感の創出につながります。ですがよく考えてみれば実態のない世界に我々はいるにも関わらずとんでもない喜怒哀楽のドラマが日々繰り広げられているのは事実でありこれは虚無とは全く違います。

改めて色の織りなす世界の脅威に驚く

この世界は空から創出さているとしてこの色はその創造物ということになります。この色の創造物は凄まじくとんでもなくリアリティーがあります。実際には何一つ分離しているものはないのですがこの色の世界では各々が自由に動き回るのでそう見えます、完全に分離しているようにハッキリと見えます。だからこそこの分離世界を堪能できるわけです、ですがこの分離世界に分離体としてどっぷり浸かっていますと中々疲れるということになります。なぜならば全く分離していないにも関わらず分離しているという大いなる勘違いをしながら生きるからです。この居心地の悪さは無我を知れば知るほどに無視できなくなるのです。だから人はどこかのタイミングで色の幻想に興味を失い本質を知ることに興味が湧きます。色の世界での分離体験では本当の至福、歓喜、安堵にはたどり着かないことを知っているからです。

無我を知れば知るほどに、、、自我に興味が無くなる

実はこの世界ではどこからでも無我に入れます、無我とは歓喜、平和そのものでありこの状態を知りますと人間関係、社会関係など色の世界に対する興味が失せていきます。なぜならばその世界の中を放浪しても本当の平和が存在しないことを知っているからです。ですがそうなってしまうとなぜこの色の世界があるのか?そもそも平和が無いならば色の存在理由は何なのか?ということになるのです。実はこの色の世界は空を知ることで逆に面白くなります、本当の自分として再びこの色の世界を遊び倒すことができるようになります。本当の自分がやりたいこと、情熱を傾けれることにこの体が使われるという主従関係の逆転が生まれるのです。

(Visited 2 times, 1 visits today)