目的のために手段選ばずの末路

将来あの家が欲しい

将来あの家が欲しい、あの家を手に入れたらば幸福になれるはずだ、、多くの方は考えそのために10年間我慢して仕事を頑張ろうとします。その10年間はとにかく我慢、ストレスに耐えながらでも生きていこう、、こうなります。ですがこれは間違った考え方です。もしもそれでその家を手に入れても満足できるのは一瞬、次の瞬間からまた欠乏感が押し寄せてきます。

手段の中に既に目的がある

実はこの手段の中に目的が内包されています。手段から実は目的に入ることができます。例えば家のために仕事をするとしてその仕事に集中できるのであればそのまま幸福になれてしまいます。集中とは無心になって行えること、無心、無思考、無我になって行えるとき、、、そのまま平和、歓喜、幸福になってしまいます。そうです今瞬間に家を手に入れたら獲れるはずであったものが手に入ってしまうのです。感情、思考と大いなる存在、意識との同一化が解消され分離意識がなくなったとき、人はそのままで至福に入れるのです。

もう家を手に入れる必要がなくなる

多くの方が大きな家を手に入れたくなるのは、、その家を手に入れたならば幸福、歓喜、安堵が手に入ると思っているからです。それは間違いありません、手に入れた瞬間はそうでしょう。ですがその次の日から徐々に感動が薄れていき不足感が湧き出してきます。それはそれこそが思考と同一化した「自分」のメカニズムだからです。そうではなく思考、感情との同一化から離れ全き意識、全体、気づきの意識に今なることで至福、歓喜、安堵を感じれるようになります。全仕事、全作業、全日常行為に集中して入ることでその場で歓喜、平和、安堵を感じれるようになるのです。そのときもう手に入れるべき家のことを忘れます。