ただ在る

動詞も名詞もない

本当は動詞も名詞もありません、、これは脳が勝手に作った感覚です、、本当は名詞も動詞もないを、、、意識していきますと、、、目の前には、、生命現象だけが在ること気づきます、、本当にそれでいい、、いつでも静寂に包まれることができます、、、これ以外要らないが湧いてきます、、、個人としてのこれがしたいが抜け落ちていきます、、、

明日は何をするの?

この質問で気づきます、、そうか個人は休みは何かをしたがるもんだったなーという気づきが起きます、、、そんな時もあった、、、ですが今はただ静寂に包まれているのがいい、、この自分が包まれるのではありません、、ただ静寂そのものになるのです、、、本当は名詞も動詞もない、、、、そんなものは脳が作り出したものです、、、

私が見る、、なんてなかったという気づき

私が見る、私が食べる、、、こんなことは元々無かったのです、、私など最初はなかったし、、見るという動詞も、食べるという動詞もあとから教わったもの、、、最初は何もなく、、、それだけで静寂にいつでも包まれる、、、全ての行為に動詞という名前がつき、、、静寂が落ちた、、、ただそれだけ、、、

名詞も動詞も無かった、、に気づきの意識が気づく

私がこの仕事のためにパソコン仕事をしている、、、全部名刺、動詞の世界です、、、私も、仕事も、パソコンも、全部後天的につけられた名詞、動詞です、、、何も無かったのです、、もともと、、、その何も無かったに立ち返ると、、、静寂に包まれます、、、なぜならばこれに気づいたのは気づきの意識だからです。

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