自分=体、思考、感情の罠から抜けると自分ごとにできなくなる

他人から何か言われても自分ごとにできない

芸人が舞台で他の芸人からいじられる、「お前太り過ぎや!!」これに対して真剣に怒る芸人はいません。なぜならば自分に言ってはいるが「芸人としての自分」にいってきていることを理解しているからです。この体、思考、感情を自分と捉えなくなっていきますと他人から色々言われても自分ごとにできなくなります。どうやら他人はこの体の中の思考、感情を含めた「私」というものに意見があるらしい、、こんなノリになっていきます。色々「私」に不満があるらしいがその私は実は幻想でいない、、こんなすれ違いコントのような状況になります。

自分ごとにしない「私」に周囲はイラつき次々と罵詈雑言を

多少の皮肉を言われれば怯むのが「自分」人間ですがその自分が実は幻想でいないことを理解してしまうと皮肉ぐらいでは止まることができません。そうなれば周囲はさらなる皮肉を言って行動を止めにかかるかもしれません。「あなた」にしっかりと届くようにとより強い口調になるかもしれません。すれ違いコントがギャグでは済まなくなっていくということです。そうなったならばここで初めて思考を使いその皮肉、雑音に対応すればいいのです、冷静に。

全てを「自分ごと」にする周囲とは基本すれ違いだが

全てを「自分ごと」にできない覚醒者と、全てを「自分ごと」にする周囲とはすれ違いが当たり前になっていきます。ですが覚醒者は周囲が全部を「自分ごと」にしていることを百も承知ですからそこは冷静に対応できるようになります。自我を超越した人が自我を超越できていない人の対応を間違えるわけがないのです。自己を超越した人が自己を超越していない人をコントロールできないわけがないのです。

自己超越とは自己を散々味わった人に訪れる

この分離の世界は基本「自分」「自己」を味わいにきています。ですからここではこれが基本、ほぼ全員が「自分」「自己」「自我」からスタートします。ですから散々にこの自分にが苦しまされています、これに苦しんでいない人は100%いません。よって自身に自己超越が訪れたとしても自己に苦しむ人の気持ちが分からないわけがないのです、むしろ誰よりもその苦しみに敏感でもあります。

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