思考と一体化した自分と思考を観察する自分

多くの方は思考と一体化した自分のみ

多くの方は思考と一体化した自分として生きています。思考=自分です。思考が湧いてきたらその思考とは自分自身のことです。そこに何にも疑いを持ちません、そして人と関わるときも相手の思考をそのままその相手と判断します。要は人間関係とは思考関係なのです。相手はこんな思考をしておる、私はこんな思考をしている、相性がいい、悪いを判断していきます。ですが思考とは損得を図る道具ですから人間関係は=損得関係とも言えます。これが一般的な方の生き方です。

思考を観察する別の自分を作る

思考と完全一体化した自分ではなく、、、思考を観察する自分、、というのを今後は作っていきます。思考が湧いたらそれを自分とするのではなくそれを観察する自分を作ります。思考の声=自分の声ではなく、思考の声を観察する全く思考とは関係ない自分を作り出します。この自分、思考を観察する自分こそ、、、大いなる存在、全存在、気づきの意識です。

湧いてくる思考=自分の声、で生きるのは修羅の道

世の中の99.9999%の人は湧いてくる思考=自分の思考で生きていますが、これが修羅の道、地獄の道、苦悩の人生の入り口です。湧いてくる思考は湧いてくる思考です、、、、これに本来自分という定義はありません。ですが人間はこれを自分の声とすることに決めました。これによって人間は思考=自分として生きています。何にも疑わず無意識にそれを受け入れています。そして湧いてくる思考を自分の声とし、、、大切に大切にその声を聞き入れようとするのです。ですが本当はこの湧いてくる声を自分とするのは後付けです、湧いてくる声はただ湧いてくる声であり、、、それが誰の声という定義はないのです。

湧いてくる声、思考を観察する自分を作る

湧いてくる声を自分の声として生きていくことが苦しみを生み出します。この宇宙全体である存在が、湧いてくる声を自分と定義することで居心地の悪さが生まれます。そうではなく宇宙全体は、この湧いてくる声、思考をただ観察するという本来の存在に戻る必要があります。これによって宇宙全体は宇宙全体に戻ります。何を言っているか分からないかもしれませんが本来ここには宇宙全体の意識しかなく、その意識がこの体、湧いてくる思考、湧いてくる感情を自分と勘違いすることから苦しみが生まれました。だったらもう一度宇宙全体に戻ればいい、、、この体、湧いてくる思考、感情を宇宙全体として観察するという初期設定に戻すことで苦しみが解消されます。これは正しい間違っているを伝えているのではなく事実をのみ伝えています。

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