体、思考、感情という安定しない存在を自分とする危うさ

自我とは体、思考、感情という不安定な存在を自分とするメカニズム

なぜ人生は苦しいのか?それは自我のメカニズムそのものにヒントが隠されています。自我とはこの体、思考、感情という毎日揺れ動く、不安定な存在を自分とするメカニズムです。朝起きて何一つ自分でコントロールできなものを自分とすることは非常に苦しいモノです、明日の体調、心情、何もかもが未知でありこれほど不安定なモノを自分としていたら将来不安が起こるのは当たり前なのです。メカニズム的に危うさしかありません。ですから人間とは基本不安定、恐怖、不安に牛耳られた生物なのです。思考、感情、体という不安定なものを自分としているわけですから当然です。

不安定だからこそ取り込まれる

若者がサーフィンにどっぷり浸かるのはサーフボードというものに波の上で乗るのが恐ろしく不安定だからです。不安定だからこそ意識をそこに全集中できます。この人間も同じで体、思考、感情という恐ろしく不安定な存在を自分自身であると意識することは全集中しなければできません。だから気づきの意識、大いなる存在はこの「自分」に全集中できるのです。思考が湧くたびに、感情が湧くたびに、体調が悪くなるたびに、、全意識はこの「自分」に取り込まれていくのです、全集中させられます。

自分に全集中すれば全体に無集中

自分に全集中すれば全体には無集中になります。自分はこの自分だけがこの世で自分であるとし、その他を自分以外であると完全なる分離の世界に入り込んでいくのです。サーフィンに没入する若者が他の全部を忘れ去るのと同じです。体、思考、感情が不安定だからこそ「自分」に全集中するのです、全意識が。ですがこの揺れ動く体、思考、感情に全意識が意識を向け続ける状態は居心地が悪いのも事実、常に不安定なものに自身を同一化し続けるのは苦しいモノ、、そこで人間には睡眠という「自分」から離れる時間が必要になるのです。そしてこれだけ不安定な要素全開の自分を生きていくのはしんどいことなので途中からこの「自分」脱却に興味が出てきます。

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