思考に取り込まれる自動反応

自我は嘘を繰り返す

自我を観察する存在、思考を観察する存在でいれない時、、つまり気づきの意識が完全に思考に取り込まれている時、、思考を観察する存在が居ないのですから、、、、その人から出てくる言葉は、、何の整合性もなく、、、ただ湧いてくる思考そのものです、、、、その思考を観察する存在は存在しないのです、、相手は自分が何を言っているのか気付いていない、、そこに嘘も本当も一切ないのです。観察する存在が居ないのですから。

思考に取り込まれないトレーニング

思考に取り込まれない、、、これを毎日の習慣にします、、、思考に取り込まれない、、、これを心の中で連呼します、、、すると次第に思考に取り込まれなくなります、、、思考に対して意識的になる意識が出現します、、、この存在こそが、、、大いなる存在、気づきの存在、ユニティーです、、、思考を野放しにしない、、、思考を注意深く観察する存在を出現させます、、、

思考が湧くたびに瞑想になる

思考を観察する存在でいるということは無我になることでもあります、、自我を観察するのは無我です、、自我は観察されることで無我に変化します。なぜならば自我とは無我が思考に取り込まれた状態だからです。自我を観察したら無我になります。思考を観察することで無我が出現します、、、無我が思考に取り込まれ自我になり再び思考を観察することで無我に戻るのです。

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