覚醒呼吸法・断食法

ニュースの全てが1ヶ月に集中しない理由

今年は一月にニュースが全集中した、はない

恐らく今年も均等に毎月のようにニュースが起こり、、一年を通じてこんなことがありました、、という毎年の流れと何も変わらないでしょう。今年は1月のみにニュースが集中しましたね、、はないんです。なぜか????それは単純明快、、「私」の関心がそこまで集中できないからです。例えば毎晩見る夢で自身がサッカー選手であり歌手であり、芸能人であり社長であり、、、という流れは恐らく起きないんです。なぜかと言えば夢を見ている本人の関心には限度があるからです。だからだいたい毎回1テーマで夢は進むのです。そしてこの夢、この現実も全く同じ、、関心には限度があるので、、毎月のニュースは均等に起きるのです。

思考が作り出す夢に関心を薄めていく

なぜこの現実に人は翻弄されるかと言えばそれはこれを夢だとは思っていないからです。夢だと思っていないからそこにリアリティがあり過ぎて、、右往左往するのです。思考が。だからこの思考がどうしても必要になりこの思考が主導権を握ってこの舵を取るのだ!!!となるんです。ですがこれが夢だと分かると話が変わってくるんです、、右往左往じゃなくて、、この夢からどうやって覚めるかに焦点が集まるんです。

この「私が」この夢を生きる

この私がこの夢を生き抜く、、というのはどこまでいっても苦しいのです。ですからこれが夢だ!!という気づくまでは苦悩が続きます。思考は常にこれを現実、リアルだという前提で湧き上がってきますから、、その度にその思考の動きに気づかなくてはいけません。もしくは呼吸法で思考の自動湧き上がりを完全解除してしまい直接悟りに入ってしまうのも一つです。思考の湧き上がりが消えますと、、途端にここは空の現象の世界に戻ります、そこは真の安らぎが漂います。

今日悟る

思考はウダウダ言うが

思考は常にウダウダ言います、悟り???そんなもの何十年の修行が必要だろ????その場で幸せになる??そんな簡単にできるならみんなやってるよ。思考の世界が作り出した苦悩を思考を使って解決するのは実際には不可能なわけです。ですから思考は簡単にはいかないけども、、まあ時間かけてやっていきまっしょいとなります。これが思考の限界なんです。

思考が止まれば今日悟りが開く

思考さえ勝手に湧いてこなければ今日悟りが開きます。なぜならば思考がこの苦しみを生み出しその思考が勝手に湧くのですから、、これは無理ゲーなんです。しかもそれを思考を使って解決しましょう!!!ってギャグなんです。だからその思考が今日止まってしまう可能性がることをやるのです。勝手に思考が湧かないような体を作ってしまうのです。

呼吸法

思考しながらできないことをやれば思考は止まります。しかもその場で、、、毎回思考が湧くたびに、それに気づき、、思考が湧かない動きをすればいいのです。思考とは癖なんで、、そこに意識が向けば、、また湧くんです。そして苦しくなればなるほどに思考に意識が集中し、、思考がまた湧きます。モヤモヤする、、これって思い通りに行かない現象を思考を使って解消しようと頑張っている状態です。そして現象とは思い通りには絶対に行かないのです。この流れを呼吸法で終わらせます、呼吸に集中することでその場で思考への意識を切ります。何度も何度もこれを行うことで今日思考が止まる可能性があります。

ワイドショー

人としてが問われているが

松本人志さんがワイドショーで毎日のように取り上げられます。彼はお笑いは一流だったが私生活は三流だった、もう少しSNSでの発言は慎重にすべきだった、あれだけ好きにやっていたのだから諦めが肝心、、まあ色々な意見が飛び交います、それがワイドショーです。これってこれを見ている人は何を楽しんでいるのでしょうか?????見ている人に何が起こっているのでしょうか????簡単です、自分劇場の思考を止めているのです。私というストーリーから外れて、、松本人志という人生に意識をシフトさせているのです。思考を止めることはできませんので松本人志、コメンテーターの人生に成り代わって劇場を楽しんでいるのです。

人の不幸は蜜の味

人の不幸は蜜の味、、これって何ででしょうか????簡単です、自分の人生というのが「苦しみ」ですから人の人生に一旦シフトして気楽な「苦しみ」を味わっているのです。私ごとに比べれば、、人事は軽いわけです。思考を止めることはできない、、そうしたら人事人生に意識をシフトしてそこで思考し地獄のレベルを落としているのです。そしてまたそに人の人生に戻っていきます。

全くもって根本解決じゃない

でもこれって全くもって根本解決じゃないんです、自分の人生から逃げているわけです、思考主体、思考意識集中から一旦逃げているのです。そして帰る場所はいつも同じ、自分の人生です。重要なことは自分の人生の苦しみを根本的に終わらせることです。その場合人の人生に意識をシフトするのではなく、、この思考に意識が集まらないようにするほかありません。

呼吸法

思考を止めるためにはTVを見ても意味がありません、TVを見ている時に思考使っていとでも思いますか???試しに数学の問題を解きながらTVを観てみてください、、恐らく理解ができません。つまりTVを観るにも思考は使われているのです。これを止めます、、呼吸に意識を集中することで強制的に思考を終了させます。これを癖にしていきます、、何度でもどこでもこれをやるのです。すると思考が全く湧いてこない状態を作れます。思考が湧いてこない時、、ここは瞬時に至福に変わります。

右利き、脳利き

右利きの人

右利きの人はスポーツをすると自然と右腕右足を使います、左も等しく使ってくださいね!と伝えても全く無駄、しばらくすれば右腕右足をまた使っています。これって実は人間の体全体で今起きっていまして、、人は放っておくと自然と頭を使うのです、つまり思考です。放っておくと脳利きになっています。しばらくすると「あれ、また思考しとるやん!」です。

体は悟っている

体って実は悟ってます、いやいや悟りって時間がかかるものですよね????修業に修行を重ねて、、違うんです、、、それがまさに脳利きの人の特徴なんです。そう「考える」ことで悟りを遠くに遠くに置くんです。本当は今私たちは「悟り」の中に居ます、そして体は悟りの外には出れないんです、、ですが脳だけが思考を飛ばして悟りの外に出れるんです。だから我々は奇跡的に苦悩を味わうことに成功しています。ですから今日もしっかり思考ロケットをぶち上げて、、苦悩に成功してますよね???

思考を使わないと、、

思考を使わなえれば一瞬で悟りの中に戻ってしまいますから、、脳はそれを阻止するためにありとあらゆる防衛策を持っているんです。その一つが自動思考、、勝手に思考が立ち上がり放っておけば思考が描くイメージの中に閉じ込められます。自ら不安材料を煽りそれによって不快になり、その不快をさらに思考を使って解消しようという自作自演プレイです。

一瞬で切る

脳利きの人は放っておけば脳で思考をぐるぐる、思考ロケットをぶち上げますから、、それに気づいたらその瞬間に脳から体全体に意識をシフトする必要があるんです。その簡単な方法は呼吸法です。思考が止まらないな、、と気づいた瞬間に呼吸法に入ります。深く息を吸って深く息を吐く、、ここに意識を向けるだけです。簡単なです、簡単だからこそ脳(方便)はそんな簡単なことで悟れるわけないじゃん!!って言ってくるんです笑そこを見抜きます。

飲酒は疑似悟り体験

思考を緩める

お酒を飲んで数学を解く、、できませんね!!!つまりお酒とは思考出来ない状態に持っていくツールです。お酒を飲むと多幸感を感じれるのは、、自我を緩める、思考を緩めているからです。自我、思考に意識を向けることが難しくなり、、その結果、、 分離の世界、緊張の世界から一時的に脱出できるのです。だから多くの人はお酒を毎晩飲んで一時的に思考の世界から本質の世界、本当の世界に舞い戻っているのです。

だがしかし

お酒の問題点は、、簡単に本質の世界に戻れてしまうがゆえに依存性があるということです。誰しも本質の世界に戻りたいのは当たり前でありそれが飲酒という安易なツールで達成できてしまうがゆえに依存性があります。呼吸法、瞑想、マントラを唱えるよりも簡単完結です。だからこそ人は飲酒を覚えると悟りへの渇望が無くなってしまうのです。どうせお酒さえ飲めばハッピーに戻れるのだからと。

飲酒よりも悟り

飲酒の弱点は、、飲んでいない時間はどっぷり思考の世界、分離緊張の世界にハマってしまうということです。飲酒時間以外は、、しっかりと思考分離緊張の世界の住民に戻ります。仕事をしていない時間以外はひたすらに飲酒に依存し我を忘れる方向に動きます。これを続けていては悟りという本当の解放から遠ざかります。

自我の強制解除

自我=意識

現代人は常に思考に意識が集まっています、、これは実は危ない状況でして、、この完全なるたった一つのエネルギーの世界に住んでいながら、空想の中に住むという状況を作り出しています。詳しく説明しましょう、、この世界は空の現れ色の世界です、、色は空が現象化された世界ですから空なのです。空とは完全完璧なエネルギーであり我々はまさにそこに住んでいるのです。ところがその中に居ながら、、まさかそこから脱出するという恐ろしい愚行をしているのが人間です。

どうやって?????

ではどうやってこの完全完璧な世界から脱出しているかと言えばズバリ!!!思考の世界に閉じ込められているのです。ほとんどの方が思考に連れ去られ、思考に囚われ、、もしくは人の思考(TVなど)に意識が捉われています。朝起きて寝るまで思考の渦に溺れているわけです。完全完璧な世界から思考が作り出すイメージの世界に没入しているのです。つまりそこは完全完璧ではなくイメージの世界です、分離、緊張の世界です。

思考の強制解除

信じられない話かもしれませんが我々はこの思考の世界から脱出できれば、、もうそこは真の安らぎ、真の平和、真の喜びの世界なのです。我々が子供の頃から憧れて手に入れたかった全部がそこにあるのです。にも関わらず思考が作り出した世界に閉じ込められて右往左往しているのが事実です。逆に言えば思考の世界から脱出した瞬間我々はその安らぎの中に移住できるのです。

呼吸法

今この瞬間に思考の世界、自我の世界から脱出する方法があります。それは呼吸法です。呼吸に意識を注ぎます、呼吸の動きに意識をしっかりと向けます。これをやりながら思考するのは難しいのです、ですから思考が湧いたその瞬間、、呼吸法を始めます。これを何度も行います、思考が湧いたら呼吸法、、、思考が湧いたら呼吸法です。思考に意識が向く流れが完全に壊れるまでこれを行います。

脳以外は悟っている

これは夢の話

体が悟りを閉じる、、これはできません。この世界はたった一つのエネルギーでそして今もそれは同じです。完全な解放の中に今も我々の体は存在します。この世界に悟りが閉じた存在はないのです。唯一その中で思考が湧き(悟りが閉じてはいない)その思考の内容が真実ではない、、という現象が起こります。それ以外は今も解放の中に居ます。

思考の内容だけ

この世界で思考の内容だけが真実とは異なります。つまり常に思考に囚われることがなくなれば、、我々は即解放の中、悟りの中、たった一つのエネルギーの中に居ることができるのです。ではその思考の囚われからどうしたら解放できるのか????ここは最重要事項です。その一つの方法が思考から強制的に意識を外してしまう、という方法があります。簡単に言えば思考できない状況を強制的に作ってしまうということです。

呼吸法

その一つに呼吸法があります。深い深呼吸を意識的に行っていきます。吐くこと吸うことを意識的に行います。思考が巡ったその瞬間、、呼吸法を始めます。呼吸法をしながら難しい問題を解くことができないようにこれをしながら思考にふけることができません。これを1日の中で何度も行うことで意識的に思考から意識をはぎ取る癖を作りのです。

思考に意識が行かなければ

この世界では思考の内容だけが真実とは異なります。それ以外は真実しか存在しません、つまり思考から強制的に意識をシフトできれば我々は一日中真実の中、悟りの中で暮らすことができるのです。悟りが閉じるとは、、思考の中に閉じ込められただけのこと、、そして悟りが開くとは思考の内容から脱出できた状態をいいます。

「私」への焦点を解く

この夢の中で

この夢の中では体を使うと、、体に感覚が行き意識の焦点が思考から体に移ります。運動しながら難しい数学を解くって不可能です、つまり意識は同時に二つにはいけないことが分かっています。思考に凝り固まりすぎた意識を解くには体に意識を強引にシフトさせるのは重要です。ヨガをする、呼吸法をする、ジョギングをする、ウォーキングをする、、体に意識を向ける事で思考から意識を剥ぎ取り「私」を解放します。

「私」に意識が向くと

「私」に意識が向きますと、、、苦しくなります。「私」ストーリーが続きます。。。「私」が何かをやらなくては、、、「私」がこの用事を済まさなくては、、、とエンドレスに苦しみが続きます。「私」とは分離感、緊張感を生み出す根源です。その「私」に意識を向かわせない、、「私」を解放させる、、、そのために体に意識を向かわせる習慣を作ることで「自我」の自動解除を促します。

呼吸の重要性

運動はどうしても時間と手間が必要ですが呼吸法であれば誰でもどこでも行うことができます。思考に意識が向き始めることに気づいたら即呼吸に意識を向けます。呼吸の動きを意識します、吸う・吐くに意識も向けて何度もそれを行います。何度も呼吸に意識を向けることでそこに意識が集まりやすくなり「自我」の解除を意識的にできるようになるのです。

思考を超えたところ、マインドを超えたところにある何かを求めて

しかし求める自分がいてはいけない

波が波であり続ける限り海になることはできません。波が広大な海になりたければ自身が波であるという認識、自覚、誤解、錯覚を解かなくてはなりません。それを解くのは誰か、それは波ではなく海でしょう。ですから波が必死になって海になろうとする行為は無駄に終わります。そこに必死になる波がいる限り波が逆に強化されていくのです。必死に海になろうとする波は緊張感が高まりより波であることを強固にします。

海になろうとする波はいずれ浄化法、ヨガ、瞑想、チャクラワークを行う

海になろうとする波が、なかなか海に慣れない場合、ヨガ、呼吸法、瞑想、チャクラワークなどをスタートするようになります。波自身が何かしらの変化をしていけば、高みを登っていけば、浄化が進めば海になれるのではと努力や工夫を重ねていくのです。そしてその努力が必死であればあるほどに波である自己を強化していくことになるのです。

波としての努力ではなく、ただ淡々と自身がそもそも海であることを理解する

波がそもそも海であるとこを思い出すために必要なことは努力や工夫ではありません。必要なのは理解です。圧倒的なレベルでの矛盾ない理解が必要になります。その理解を促してくれるのが同じく波の形をしたマスター、達人の形をとった人々となります。彼ら彼女らは波の形をとった海です。海が波の口を使って言語化しその事実、リアリティーを伝えているのです。