輪廻転生

あの世などない

あの世があるならこの世は不完璧

あの世がある、、私は何十年もこの言葉を信じてきた一人です。この世で死んだらあの世に行く、、非常に魅力的な(考え方)です。ですがこれは事実ではありません。事実は簡単この世は今見える場所だけ。これ以外は一切存在しません、もしも存在するならば今見えている世界はごく一部(不完璧)になり完璧では無くなってしまいます。今ここで感じる静寂がごく一部ならばこの静寂は完璧では無くなってしまいます。そうですあの世を肯定するということはこの世が完璧で在ることを全否定することになるのです。

この世が完璧であるわけがない、、

この世のどこが完璧なのか??毎日あらゆる犯罪が溢れ返り民事刑事裁判が起き続け、、争いが絶えないこの世のどこが完璧なのか???完璧なのです、不完璧に見えているだけで、そして不完璧に見えていることこそも完璧なのです。完璧な世界が不完璧に見えるためには、、神羅万象、この現象(色)に名前を付けまくりさも独立した存在同士が争っているように見える必要があります。そこまでの手間隙をかけて初めて争いが起こっているように見えているのです。これが完璧なのです。種明かしをすれば全ての素粒子は完璧で、完璧でできた素粒子が構成するあらゆる物質が争いを起こしているように見えることで不完璧を感じるが起きているのです。

この世が絶望的までに不完璧に見えるから

この世が絶望的なまでに不完璧に見えてしまうからこそ人(アイデア)はあの世を想像し(アイデア)輪廻転生を(アイデア)を思いつきました。今まさに夢、幻想を言葉のマジックで見ることができる自分(アイデア)が体が死んでもこれが続くと発想するのは自然なことです。ですが事実はこの目の前に完璧がありこの完璧の上に不完璧に見える世界を作り出しただけということです。紙という完璧な土台に不完璧に見えるような絵を描いただけです。

「自由意志がない」は最大のタブー

このメッセージは嫌われる

自由意志はない、このメッセージが広がらない理由はこのメッセージが人類最大のタブーだからです。魂、輪廻転生、前世、来世、ツインソウル、この辺りは信じる人は多くても「自由意志はない」は一気に人気がなくなるポイントになります。私自身このメッセージだけは受け入れるには時間がかかりました。それはありえないだろう、、そう当初は思いました、、ですが覚者と言われる人々のメッセージを噛み砕いてうちに自由意志があると断言する方が逆に不可能であることが腹落ちしたのです。

人間だけが自由意志があると考える方がおかしい

神羅万象、自然界において自由意志がある生物は皆無でありなぜ人間だけが自由意志があると言えるのでしょうか、宇宙の原理はシンプルで特例というのがありません。1+1=2でありこれがあてはまらない分野はない、、、これと一緒で宇宙の原理には特例がなくもしも人間に自由意志があるならば万物すべてに自由意志がないとおかしいことになります。そうなると人間だけが自由意志があると考える方が非常に難しくなるのです。

「自由意志がある」と勘違いすることができる

自由意志があると勘違いすることができる=人間です。明日渋谷に行こう、そして行った、、、これで自由意志があると99.99パーセントの人は勘違いします。事実は「明日渋谷に行こう」が根源から湧き、そして渋谷に行くが湧いた、、です。思考と行動を「自分」が作り出した、、とほとんどの人は思っていますが実はそれが根源から湧いただけなのです。全ては川を流れる葉っぱのように決まって動きが決められていきます。この事実に触れた時に心底安堵が湧いてきます。

江原さんもビックリ!自分の生存戦略

自分を存続させるためなら死後も操る

自分とは全体から自らを分けた状態のことです。この全体から分かれた自分はこの自分をどうしても存続したという衝動があります。なぜかと言えば全体から分かれた状態は実は不足感、不快感、喪失感の塊になるわけですがこれが自分の感情として起き上がる時にもっと食べたい、もっと安定したい、もっと有名になりたい、もっと人気者になりたい、もっと自分として認められたい、もっと自分を築き上げたいと、、、違う欲望に変換されます。これによって分離という状態を結果永続させることになっていくのです。これは何という皮肉、ブラックジョークです。ということでこの欲求を持たすべく自分は自身の永続を願うようになっていきます。ただしこの体は永続ではないためいずれ死が訪れます、これが自分の消滅になるはずでした。ところがこの自分の思考は諦めません、自分というのは死後も永続できるという思考を持つことに成功したのです。そもそもこの体の中に自分がいるというのも「思考」です。この思考にオプションを加えて死後も永続できるという思考に切り替えました。この思考が肉体の死も全体から湧いてくることで「自分」は次の体を確保します。

江原さんのように思考のエネルギーを見れる人がそれをみると、、、

霊能者と呼ばれる人々は感情や思考など一般人には視覚化できないエネルギーを視覚として見える人々だと思います。この思考「自分エネルギー」を視覚から読み解いて人に伝えているのだと。これには欠点があり死後も自分が永続できるというアイデアを持った自分は必ずこの思考を自分に取り込むようになります。結果輪廻転生が自動的に行われるようになります。この部分に関しては自身もまだ調査中でいずれしっかりと解明したいと思います。

釈迦は言った、良い輪廻転生をしようではなく「解脱しかない」

お釈迦様も全体の表現でしかないので人間という実在ではありません。ですがこの全体の表現(釈迦)は良い輪廻転生をしよう!とは言っていません、「人間が苦から解放されるには解脱しかない」です。この自分劇場を終わらせる以外に苦からの脱却はないと説いています、これは刹那的、逃避的意見に聞こえるかもしれませんが私は真実を突いた優しいメッセージだと思います。もっと頑張ろう、いずれ幸福になれる、夢を持とう、、、というのは自分が大好きなメッセージであり的を外しています。これをイエスキリストは原罪と称しました。

全体は究極のマゾヒスト

全体は自らを弱くしてマゾ体験を堪能している

全体はマゾヒストです。全体は自らを分けて自分という存在を体の中に作り出しその最弱な体で自分劇場を生き始めます。全体は最大最強、自分は最小最弱です。全体がわざわざこの人間という体の中に自分を作り出し最弱体験をしているというのですからこれはマゾヒストとしか言いようがありません。ですがこのマゾヒストはこの体験を大いに気に入り、輪廻転生といってまさかの肉体の死をも超越してこの体験を継続させていきました。肉体が死んでも魂が存在しその魂が次の体を見つけてまた自分体験を継続するという例の流れです。

全体は徐々に自らを強くして成長を楽しむ

全体から分離した自分は最弱状態を体験します。最弱のままではこの体を生き伸ばすことができない、生きていけないと悟った自分は自分を強くするという道を歩むようになります。これが子供から大人になるということです。筋力を付けて、学力を付けてというのがこの時期です。そしてその自分の成長体験を楽しんでいるのは全体です。全体は成長するという体験をすることができません、全体は最初から完璧だからです。だからこそ全体は自分の成長ストーリーを大いに楽しむのです。

全体は強くなっても至福に至れない自分にヒントを与える

自分という存在になった全体は最弱経験から徐々に強い自分体験をしていきます。収入を得て信頼を得て、安定を得てとコツコツとこの経験を積んでいきます。ですが困ったことにどこまでいっても居心地の悪さが解消されない、それはそうです。全体という史上最強の存在が人間に成り切っているわけですから強さには限界があるわけです。ということで自分は強くなっても至福には至れないことを徐々に理解していくわけです。そこから自分は一体この世界でどこに至福があるのかを探し始めます。自分が強くなることで至福に至れないならばどこにそれがあるのかと、これがこの自分体験最大の山場です。

それでも分離体験最高

神は無駄なことをしない

これは神の見る夢です、神が人間体験をする夢です。夢を物語化するために脳という記憶機能を作り出し過去を誕生しました。これによって 人間は成長し成人し、年を重ねやがて老い、死を迎えるという一連の流れを経験できます。このストーリーは神が神のままでは経験できないことです。神は過去を悔やむことも過去を振り返ることも過去を後悔することもできません。全て人間様があってこそです。憂鬱に過去を悔やむ神はいません、人間あってこそです。ということで分離体験最高ということになります。もしもあなたが今最低最悪な気分だとしてもそれは記憶をベースに比較してのことでしょう、過去の私と。それは神のままではできないことです。

人間ストーリーは最高だがそれでもしんどい

そういう意味で人間ストーリーは神が神のままでは経験できないことを経験できますから神にとっては最高です。ですがこれは同時に非常に苦しいことでもあります。そう人間に成り切った神としては最高でも人間としてはただ辛い、、ということで辛さでお腹がパンパンになったならばもうこの辛さ体験は終わりにしましょう。この無限地獄、不足感解消ゲームは終わりにしてもいいかもです。貧乏があるから豊かさがわかる、孤独があるから仲間の大切さが分かる、病気があるから健康の有り難さがわかる、、、ただそれももう十分ということはあります。

もう人間なんてしない、絶対

釈迦は悟りこの人間ゲームが苦であることを理解しました。そして苦行が悟りへのツールではないことも知りました。夢から覚めるのに苦行はいらないと。そしてこの夢から覚めることを解脱と称してその方法をその後の人生で伝え続けたわけです。輪廻転生をしながらカルマを解消しダルマを積むのではなくその輪から抜けてしまいなさいと。終わりのないこの夢物語を継続するのではなく夢物語から覚めてしまいなさいと提案したわけです。

全存在は全存在ゆえにあらゆる世界を許可する

人間ゲームでは浮遊霊も念力も超能力もなんでもあり

全存在は全存在ゆえに人間ゲームにあらゆる可能性、多様性を持たせてくれます。輪廻転生、守護霊、憑依霊、念力、アカシックレコード、チャネリング、空中浮遊、、このゲームはゲームであることが簡単にバレてしまっては意味がないのであらゆる選択肢、可能性を作りゲームに熱中させるようにできているのです。例えばドラゴンクエストには裏面というのがあります、表面をクリアーしたらまさかの裏面の登場です。現実社会をクリアーしたらまさかのスピリチュアルな世界が登場するのも同じです。現実的欲求を満たし切った人間は、精神的欲求、次いで霊的欲求を満たすように設定されているのです。これは全て自我ゲームの不足感、欠乏感、孤独感を埋めるために設定されています。

思考を変えると新しい観念が生まれ新たなゲームが現れる

この人間ゲームを人間ゲームにし続けるための設定は思考を変えること、観念を変えることが重要になります。脳の認識を新しい知識で変えていくことで観念を変え見える世界を変えていきます。ドラゴンクエストの表面、裏面の切り替えを人間の観念を使って変えていきます。その人が思考するような世界が広がるように設定されているのです。こうして人間ゲームは永続的に続くように工夫されているのです。人間の観念書き換えは人間ゲーム継続の鍵です。

現実的欲求、精神的欲求、霊的欲求あらゆる欲を満たしても満足しないこの欲求は人間であるというトリックを見破らない限りクリアできない

マズローの欲求五段階説ではないですが生理的欲求、所属の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現欲求、自己超越欲求と、、欲求は延々と続くのがこの人間ゲームです。なぜならば自身を人間であるとい勘違いをしている限り不足感、欠乏感は延々と湧き出てくるからです。このトリックを見破らない限り我々はラットレースのように延々と走り続けていくことになるのです。自分自身がこの心身ではないという悟りを開かない限りこの苦しみは延々と続きます。こんなに努力を重ねてきたのに実はこの心身が自分ではなくてそう錯覚してきた全存在こそが自分だったという夢から覚める体験をしない限り人間ゲームの苦しみが続くのです。

海であることを忘れた波は悟りに興味を持たない

矛盾するようだが波は海に戻りたくない

私自身スピリチュアルに興味を持つようになって15年以上経ちますが驚くべきことに最初の13年間は本当の意味で悟りに興味を持てませんでした。スピリチュアルと悟り、二つは近い関係のようでいて実は全く異なります、異なるというよりも真逆と言っても良いかもしれません。今でこそはっきりと違いが理解できますが15年間もスピリチュアルを学んできてそこに気づきませんでした、かなり近いことを学んでいるような気になっていたという事実がいかに自我は悟りすらも活用して存続しようとするかの証明です。

スピリチュアルの多くは精神的欲求を満たすための道具になっている

人よりも多くのことを知っているという自覚は自我の大好物です。自我は人より知識を持っているという事実が自我の拡大、自我のマウンティングを強くします。私は優秀である、他人よりも多くの知識を理解する優秀な存在だ。このように自我は知識を利用するわけですがその中でもスピリチュアルに精通することはよりその傾向を強めます。多くの方は目に見える世界しか知らず自身は目に見えない世界にまで造詣が深いのだ、、これは自我にはたまらない喜びなのです。誰も知らない世界を我輩は知っているぞと。そしてこのスピリチュアルの世界の多くはどんなに複雑怪奇で摩訶不思議の世界であってもこの自我の存続にあっては寛容なのが特徴です。自我を肯定し、なんなら輪廻転生と呼んだ他の惑星ですらこの魂は移住して生き抜くという自我の存続には大変都合の良い話の展開になっているのです。この世で体が滅びてもまだ違う惑星、違う時代にこの魂という自我の別称は存続できるのだと。これで自我は胸を撫で下ろしてぐっすりと寝れるわけです。

悟りを正しく表記している本はなぜか読み進めることができなかった

悟り、解放、解脱、、これらを正しく説く本に出会ったことはこれまでも何度もあったのですがなぜか不思議にも興味を持てないのです。スピと悟りは兄弟であると捉えているにも関わらず読もうとすると強烈な無関心が襲ってきます。なんか読みにくいし説明も周りくどく不親切な本ばかりだと真剣に考えていました。読みたくなるのは精神世界でなおかつ自身(自我)が同時に豊かになる本ばかり。幸福になったり経済的に豊かになれると詠う本ばかりです。結局のところ悟りもスピもいかにこの自我が豊かになれるかを説いていると真剣に考えていました。だからこそ悟り系の本を読み進めていくと頭が混乱していつの間にか辞めてしまうという展開がほとんどに。

あなたは実はいないのだ、、

自我の終焉、自我の消滅、、悟りの本質はそこにある。本のタイトルでこのような言葉を徐々に目にし始め私は少しずつですがそこに興味を持ち始めました。これだけ経済的も精神的にも豊かになるための努力をし続けてきたにも関わらず気づけばまた貪るように次の本を読み進めている自分に気づきました。この戦いはどうやら終わりがないなと、、、。そこで私は覚悟を決め「悟り」「解放」「解脱」「ノンデュアリティー」を掲げる本に真剣に向き合うようになったのです。幸福になるあなたはいない、あなたがいなくなれば全てがOKになる、、至福とはあなたの欠落だ、、、、世の中の常識、成功哲学、スピリチュアルの内容はあなたの進化、あなたの努力、あなたのバイブスの上昇、これが当たり前ですが、、、悟り系だけが、、あなたがいなくなればいい、、、これは真逆、正反対の内容です。ですが今ではよく分かります。自我の存続は人類の興味でありそれ以外の情報はこの世では先ずまともに取り扱われないということが。

海であることを忘れた波は生にしがみつく

海は生そのものあり、波は幻想であるが故に生にしがみつく

海が海(生)にしがみつくことはありません、自らが生そのものであるのに生にしがみつくのはあり得ません。ところが波は生の一部であるのは間違いないのですが完結した個別の波という実態は全くないのでその存在にしがみつくわけです。勿論波も生の表現であることは間違いないのですがこれを個別の分離した存在であると言うのは間違っています。どこからが波でどこからが海なのかという線は本来引けないわけですから個別の波と断言するのは滑稽な話なのです。ところが人間は私とはこの体、であり思考であると断言しようとします。結果逆にこの身体、心にしがみつくという衝動が生まれるのです。

個人がしがみつくのは生ではなく自我

これが私だという思考、これが自我ですがこれは後付けのものでありゆえに実態はありません。一度この実態のない私が誕生するとその存在が危ういゆえにこの存在、錯覚を守ろうとする力が生まれます。人が人を殺したり、人が人の命に危害を加えることに対しどの国でも最も罪が重くなっている理由はそれだけこの自我は生に執着している証拠でもあります。死ぬということを圧倒的に恐れているのは自我であり、ゆえに輪廻転生や魂、オーバーソウル、過去生、来世などの存在は自我にとって魅力的に映ります。この思考そのものもエネルギーですからこれらの思考は体が死んだ後も海、存在、生に吸収され存続する場合も多いのです。

輪廻転生や過去生、来世はアイデアでありエネルギー

波がいずれかの段階で海に再吸収された後も自我のエネルギーが存続する場合、また違った波となって波物語を継続します。その際には過去生の記憶を持った波として波物語を続けていく場合もあるのです。ですが輪廻転生や過去生の大前提である時間というものは海ではなく波の世界でしか存在しません。海の世界には時間も空間も存在せず時間と空間があるのは波の世界だけの話です。よってこの幻想、波物語が自我が作り出した幻想であると腹落ちした瞬間に自我も欠落し、輪廻転生も欠落します。海と時間は共存できないのです。仏教ではこれを解脱と言い、禅では見性などと言ったりします。

輪廻転生は自我の延命アイデア

輪廻転生から外れる、夢から覚める

輪廻転生、ハイアーセルフ、アセンデッドマスター、、、これらのアイデアは自我が自我としてあり続けるためのアイデアの一つです。分離ゲーム、人間ゲームを継続させるためにあらゆる設定が加えられていきます。死んだ後も輪廻は続く、そして卒業したら次のステージ、ハイアーセルフのステージがある、全て自我の延命、自我が自我としてあり続けることを可能にするためのアイデアです。

本当はこの夢だけがあり、夢が覚めればただ存在だけがある

自我があり、この体は自分自身だという壮大なギャグ、錯覚が抜け落ちれば、、そこには時間も空間もなく存在だけが残ります。輪廻転生もハイアーセルフも、アセンデッドマスターもギャグをより詳細に詰めたものでありそのディテールの細かさはアメージングとしか言いようがありません。この分離ゲームをいかに夢から覚めずに続けていけるか、ディズニーランドのアトラクションのようにそれはそれは凝った作りになっているのがこの人間ゲーム、分離ゲームの凄さです。

この夢の中では至福には至れない

夢が夢であり続けるためには主人公が至福に至り存在が夢から覚めてしまっては困るわけです。ですからこの夢では主人公に次から次に事件が起こり、良いこともあれば悪いこと、快適なことがあれば不快なこと、人気者であれば不人気者の時期があるのです。しっかりと相対の事件が起こり続けていくのです。ですから主人公にとってはたまったもんじゃありません、絶対に至福は訪れない、、延々にジェットコースターのこの世界から離れることはできないのです。夢から覚める以外は。