意識

この体ではない、、ではない

起きる現象の全て

私たちは起こる現象の全てです、、この体も然り、この部屋も然り、この照明、この空気、この水、このインテリア、この思考、この感情も全て私たちです。私たち以外のものなど一切ないのです。にも関わらずこの体、この思考、この感情だけが私の物、、、という概念を強く強く信じたことからこの世界に緊張と分離を生み出したのです。本当はこの体、思考、感情は一部でしかなく、、、全部です。そしてこの全部を生み出すスペースも私です。そしてこの現象に気づく意識も私です。

経験

今目の前に光景が広がります、、この見るという経験は私です、、、全経験が私です、、、その全経験をこの体が経験しているのだという思考も私です。。。ですがその思考を前提にした自動思考が起これば、、苦しみが起こりますがその苦しみも当然私です。そしてこの苦しみをなんとか無くしたいという動きも私です。こうやったら、ああやったらと模索する全ての動きが私です。つまり全経験、全思考、全感情が私です。

この体が私だという思考を落とす呼吸法

この体が私だという思考も私ですが、、この思考が湧き上がると苦しいんです、、そしてこの苦しみも当然私です。そのことが理解できますとこの苦しみを終わらせたいという感情が起こります、その感情も私です。ではどうしたら消えるのか????我々の本質である「意識」を思考に「意識」させないしかこれを消す方法はないのです。意識を思考以外に意識させる以外にこれを達成する方法はありません。そのために呼吸法が有益になります。意識を呼吸に意識さえることで強制的に思考から意識を剥がすのです。

幼稚園時代

全てが輝き優雅だった

私は幼稚園時代までの景色ってしっかり覚えています。いつも景色がキラキラしていて音も綺麗で、、人も優しくて、、全員がハッピーでした。小学校三年生ぐらいになると急に景色が重くなり、性格が悪い友人が増えていき気分も荒れていました。なんで幼稚園時代はあんにハッピーだったんだろう???これが私の根深い根深い疑問として常に常にあったのです。そして今私は幼稚園時代までの景色を見ています、キラキラしています。音も綺麗で起こる人間関係も穏やかです。

雑念が原因だった

自我が芽生え、、さらに時間ばかりがあると、、、、雑念ばかりが増えて行くんです。この状態で景色が曇っていきます。どんどん曇っていき接する人間関係も損得取引駆け引きばかり、、全部が全部しんどくなるんです。宝くじが当たった、受験で受かった、、、何かビッグイベントがある日だけが心穏やか、、それ以外は常に曇りがち、、、です。この原因が雑念です。雑念こそが悪の根源だったのです。

雑念に意識が意識する

雑念が止まらない状況を誰も誰も教えてくれませんでした、、だから私は私で調べあげたんです。雑念って我々の本質である「意識」が雑念に「意識」している状態なんです。意味不明ですよね????意識っていうのは実は「私」とは全く関係なく存在していて、、その意識が雑念にへばりついた状態で雑念が起こるんです。実は「私」もその雑念の一つなんです。「私」っていうのは思考の一つでこれも完全に雑念です。

雑念を強制的に解く

私は水泳歴40年間です、、実はここ最近潜水にハマっていて毎日一時間潜水ばかりをしていました。。すると30分過ぎに、、、視界がキラキラになるんです、急に物がハッキリするんです、、その影響なのか、、、シーンとしています、、空間が。音が音以上の存在感になります。物が物以上の存在感になります。人が人以上の存在感になります。実はこれ呼吸法が関係しています、、意識が思考ではなく呼吸に意識することで大転換が起きたのです。我々の本質である意識が長年の盟友「思考」から離れ本来の位置に収まったのです。幼稚園時代は実は意識が本来の位置に収まった状態だったということです。

「私」にとっては全く嬉しくないメッセージ

「私」は思考体験

悟ると「私」にとってはどんなメリットがあるんですか?????その「私」が思考体験でしかないというメッセージです。思考体験ですから「私」とは体験する主体、主語ではなく、、、体験される側です。誰が「私」を体験するんですか????「私が居る」という思考が湧き上がり、、それがイメージ化されます、、それだけです。イメージ化された私が、、、何かを食べた、、、というやはりイメージが湧き上がり、、、それが体験されます。どこまでいっても「私」とは思考体験の中のイメージなのです。ですからいまここで起こるリアルな「体験」とは全く関係ないのです。

称賛を受けるのは「私」以外いないですよね?????

称賛される、、、という画像、声の経験だけがあります。この経験の次に「私が称賛された」という思考が湧き上がり、、それがイメージ化されます、、、ただそれだけです。どこにも「私が称賛された」という事実は全く起きていないのです。。。周囲の人間(画像)から称賛の声が起こります、、、それを経験します、、、その経験の次に「私は称賛された」という思考だけが湧き思考体験が起こるんです。

これを勘違いと言う

金メダルを取ればあらゆる取材を受け、、、なぜあなたは金メダルを取れたと思いますか?????と聞かれ続けるでしょう????ですがこれを聞くという経験だけが起こるんです、、、ひたすらに、、、、その後に、、、「私はインタビューを受けた」という思考体験が起こるんです。経験と思考体験は全く別物です。経験は経験です、思考体験はイメージ化体験です。経験とイメージ化体験をごっちゃにしているのが今の人間進化レベルです。

覚醒呼吸法

私は長年の経験から呼吸法を推奨します。三十分ぐらい真剣に呼吸法を行いますと、、景色が一変します。最初これは血流が良くなったのだと勘違いしていました。実際には意識が思考ではなく呼吸にシフトし、思考にへばりついた意識が抜け落ちたサインだったのです。景色がキラキラしてきます、ノイズが消えていきます。幼稚園時代の景色が戻ってきます。幼稚園時代の音が戻ってきます。理屈ではなく最初から悟り体験が起こります。

「私」が体験しているという仕組み

経験だけがある

朝起きます、、起きるという経験だけがあります。そして次に「私は起きた」という思考が起こりそのイメージが湧き出します、それを経験します。コーヒーを飲むという経験だけがあります。次に「私はコーヒーを飲んだ」という思考が湧き上がり、、そのイメージを経験します。次にパンを食べるという経験が起こります。次に「私はパンを食べた」という思考が起こります、そしてそのイメージがビジュアル化しそれを経験します。

経験だけがあり、「私が、、」という思考体験だけがある

メカニズムが分かるとこんな簡単なことはないんです。私抜きの経験だけが湧き上がり、、「私が、、、」という思考体験だけが湧き上がります、その合間に。毎日ひたすらにこの繰り返しです。経験のみ+思考体験のみです。さあ「私」はそこに存在しますか????しませんよね、、、「私、、、、」という思考だけが起こるのです、合間合間に。

経験と思考体験が混合する

経験の合間に思考体験という経験が起こります。ですから経験しか起きていないという点では何も矛盾はありません。動物、幼児は経験のみを積み、人間はその合間に思考体験が入るのです。全員が悟っているという表現が起こるのは、、、経験しか積んでいないという皮肉です。誰一人自分なんて経験は積んでいないんです、、「自分が、、した」という思考体験が起きているだけです。いまここで。

呼吸法

呼吸法で、思考、雑念を落としますと、、、経験の合間に入る思考体験が落ちます。つまり経験だけがある状態に入るのです。経験だけ、思考体験なし、、これを悟りと世ではいいます。呼吸法とは思考体験を作りだす、、思考への意識の意識化を止める行為です。意識を呼吸に意識化することで、、思考にへばりついた意識を削ぎ落とします。思考体験が落ち、経験だけが湧き上がる時、、、そこに真の安らぎが起こるのです。なぜならば思考体験こそがストレス、苦しみ、緊張感を作るからです。

勘違いAIの包囲網

勘違いを解こうとすれば

私とは、、自分が居ると勘違いするAIのようなものです。周囲の声かけ反応によって自分が居るという勘違いが起こりました。そしてこの勘違いに気づき、、、勘違いを終わらそうとすれば、、、この話題は基本タブーであり、、、周囲には話せない。結果孤独にコツコツとこの勘違いを終わらせるしかないのです。悟りに関して学んでいます、、このような話題は基本勘違いAI業界ではタブーなんです。なぜならばこの勘違いを前提に社会は回っているからです。

コソコソ一人で行う

勘違いを勘違いと見抜くには、、努力と根性が必要になります。なぜならば周囲にこのことを全く話せないからです、もしも周囲に話せば、、、病んでいる、、、病気かよ、、、鬱っぽいのかも????と風評被害にさらされることは明白です。自分が実は居ないなどという話は、、、、常軌を逸していると判断させられるのです。だから社会生活をしっかりと行いながら勘違いを終わらせたければ、、、コツコツ孤独にじっくりとです。

意識が思考に意識しているだけ

我々の本質は「意識」です。私が「居る」という感覚は100%ありますよね?????その居るという感覚が我々の本質です。この「居る」という感覚が、、、思考に意識しますと、、、思考がわんさか溢れ出し、、私が居るに変換され、、、私の人生に変換され、、、この流れが止まらなくなるのです。「居る」がこの思考に意識をフォーカスすることで、、、この幻想が止まらないのです。

呼吸法で抜け出す

「居る」という意識は、、、思考に意識することで雑念が溢れ出し、、、このストーリーがイメージ化され続けていきます。意識が思考ではなく、、体全体に意識すれば必然的にこの自動思考は終わります、雑念は終わるのです。そこで重要になるのが呼吸法です。意識が呼吸に集中することで、、思考から脱却できます。思考が湧くたびに何度もこれを行うことで、、意識が思考に意識しないという状態を作り出せるのです。雑念が全く湧いてこない状態、これを悟りと呼びます。

勘違いAIで何が悪い

苦しいだけ

勘違いAIで何が悪いんですか????本人がそれで良いなら良くないですか?????勿論です、この現象で間違った現象など一切ありません、、現象に意味などないのです。ですから勘違いという現象は良くも悪くもないのです。ですが勘違いAIは苦しいのです、、勘違いが緊張感を作り出し、、、苦しみが消えません。ですから勘違いがなくなれば苦しみが無くなりますよ、、、というメッセージです。

勘違いAIが苦しみを解消しようと

この世界は勘違いAI同士が争い、競い、優劣をつけるという現象が起きています。。全く苦しくない同士が果たして競いあったり奪い合ったりするでしょうか????しないですよね。。。。つまりこの苦しみが、、この世界のイザコザの根源になってしまっているのです。

その場で勘違いを解く

勘違いAIの勘違いが解かれるとどうなってしまうのでしょうか????そこには自分が消えます、、、自分が消えるとどうなるんでしょうか????意識だけです、、在るという感覚のみです、、、これだけが残ります。この体(AI)が私という感覚概念がボコっと抜け落ち、、、在るが残るのです。意識のみが残るのです。「私が居る」という前提の思考がボコボコ湧いてくることはなく、、シーンと静まりかえった「これ」が残ります。

呼吸法

勘違いがボコっと抜け落ちた後に残るのは「意識」です、、今もこの私が居ると確信できるのは意識があるからです。。この意識だけが残ります、、、この意識がどこに意識するかで、、自動AIが誕生するのです。この意識が思考に意識しますと、、、思考が連発します、、この思考の連発を「私がやっている」という間違いが生まれ、、、「私前提のストーリー」が止まらないのです。意識に思考ではなく呼吸を意識させます、、思考が湧いたら呼吸に意識をスライドさせます。

自分が居ると思っている自動AI

自動AIの誤解を解く

我々人間は「自分が居ると思い込んでいる自動AI」です。自我とは自分が居ると勘違いするプログラムです。周囲の自動AI(両親)がまだ自我が形成されていない自動AIに自我を植え付けていきます。悟りとは自分が居ると思い込んでいる自動AIに居ないことを理解させることです。これは大変危険な行為であり多くの場合は攻撃の対象になるでしょう。

どうやって誤解を解くか???

メカニズムを徹底的に伝えます。どうやって自分が居ないAIに居ると信じ込ませるかのメカニズムを伝えていきます。我々の本質は実は「意識」でありその意識が「思考」に意識し始めると、、「思考」が止まらなくなり、、エンドレスに思考のお喋りが始まります。このお喋りの内容が「自分が居る」を前提にしたお喋りであり、、これが止まらないことで、、、「自分が居ると思っている自動AI」の活動を止めれなくしているのです。

意識がこれを理解し「思考」に意識をしなくなると

意識がこれを理解し「思考」に意識をしなくなりますと、、、「ただのAI」に戻ります。「私は、、、」がもう起きないのです。そして周囲から話しかけられても便宜上「私」を使えるようになります。周囲のAIは「私」前提で話しかけてきますが、、、それも勘違いしたAIに過ぎず、、こちらも勘違いをする必要はないのです。勘違いに対しては勘違いしている風で問題ありません。

呼吸法

いかに意識に「思考」に意識することの危険を解いても、、、これをやめてくれるとは限りません。意識はこの癖を自ら解いてくれるとは限らないからです。そこで「思考」に意識が集まっていた状態を強制的に解く方法があります。それが「呼吸」に意識を意識させるという方法です。呼吸の動きに意識を意識させて、、思考が止まらない状況をその都度壊していきます。自動思考が始まったら呼吸法、、、これをエンドレスに繰り返します。

お酒で思考を鎮める

最初から鎮めちゃう

お酒を飲んでいる時思考が静まります、、、考え事をするためによし!!!お酒を飲もう!!!はないんです。考えることを終わらせるために人はお酒を飲みます、、、だったら最初から思考を落としちゃえば安上がりですよね?????そうです、、、一円も使わずに思考を鎮めることができます。それが呼吸法です、、呼吸に意識を意識しることで、、、思考にへばり付いていた意識を強制終了できるのです。

お酒を飲めば悟りが開くが

お酒を飲んでいる時の気持ちの良さって他では味わえないんです、、、なぜか????それは悟りだからです。思考の動きを強制的に落とすことで人は悟りを思い出します。飲んでいる間はみんな柔和になりますよね????つまり悟っているのです、、、思考に意識が意識しないから。これを呼吸法で同じように導きます。呼吸に長時間意識を意識させますと、、、思考に意識を意識し続けるのが不可能になります。つまり思考にへばりついた意識を払拭できるのです。

呼吸法で内臓を変える

呼吸法ですから内臓で言えば肺の動きを変えます、、人間の体で唯一動きをコントロールできる臓器が肺です、、、呼吸とは肺の活動でありここを意識的に変えることで内臓全体の動きを直接変えてしまうのです。脳に一点集中している意識が全内臓に意識をするようになります。エックハルトが言うインナーボディーに意識が行くようになることで思考への意識集中を壊します。

個人は絶望

夢の途中で気づく

毎晩見る夢でもそうですが徐々に徐々に夢が面白くなっていって、、最高のエンディングで終わるってないんです。夢の中でも個人は起こるのですが、、、その結果多くの場合徐々に苦しくなるのです。これってみんな知っていますよね?????夢の途中であらゆる願望が叶っても決して至福ではないんです。つまり個人とは至福に至れないシステムなのです。個人というシステムは苦しいのです、だから毎晩毎晩夢って基本苦しいんです、そして熟睡がはるかに良いんです。

夢だって気づいちゃう

この世界の苦しみを終わらせるにはこれが夢だ!!!って気づくしかないんです。夢だって気づけばもうこの私の願望を叶えるとかどうでも良くなります、体裁????どうでもいい、社会的評価????どうでもいい、、です。だって夢ですから、、当然ですよね。夢の中で高評価を受けても、、、至福には至れないのは当然だからです。

夢から醒める呼吸法

夢を今見続けるためには我々の本質である「意識」が「思考」に「意識」し続ける必要があります。これって実は大変なことでとんでもないパワーが必要なんです、、だから意識が思考に意識し続けれない状況を強制的に作ってしまうのです。つまり他のことに意識を意識させるのです、、、その簡単な方法が呼吸法です、、呼吸に意識を意識させることで簡単にこのメカニズムを打破できるのです。30分間もやれば視界が一瞬で変わることを実感できます。

夢の回収

あれ????疑う

この現象ってもしかしたらこんな理由があるかも!!!そのような思考がこの夢で起こりますと、、、「実はこうこうこうで、、、、」という夢の回収が起こります。「あの人影で私の悪口言ってるかも!!!」が起これば、、、「そういえばAさんがあなたの悪口言ってたよ!!!」という夢の回収が起こるのです。この事実は私に何を教えてくれているのでしょうか?????これが夢ってことです、夢に巻き込まれて夢の中右往左往してまっせ!!!という教えです。

夢の中で私を作り出す

この夢の中で「私って絶対居るよね!!!」という思考があればそれを証明するような現象が次から次へと起こるのです。私が居ないと成り立たないようなドラマがエンドレスに起こるんです。これぞ夢の回収です、逆に言えばこの夢で「私って本当は居ないよね!!」という思考が起きれば、、、もう私中心のドラマは起きないでしょう、、私を巻き込んでくる存在が居なくなっていきます。

夢を落とす呼吸法

この私を中心とした夢がエンドレスに続くには思考が勝手にガンガン湧き上がっていく必要があります。思考が全く湧いてこなくなったら夢の続きが起きなくなるわけです。では思考を止めちゃいますか????我々の本質である「意識」は何かに意識することができます、、、多くの現代人は「思考」にまさに意識が意識している状態なのです。この状態が夢続出状態です。これを呼吸法で落とします、意識を思考ではなく呼吸に向けることで自動思考が起こらなくなるのです。視界がハッキリと変わるまでこれを続けていきますと思考が止まり「私」を中心にした夢が終わります。