意識

意識が起こる前

そんなのない

意識が起こる前ってあるんでしょうか?????我々は意識がなくなった時などほぼなく生きています。思考がない時はいくらでもあっても「意識」がない時は一切ないんです。生まれてきた時から「意識」だけは確実にあって、、「意識」の中に思考がたまに現れます。「意識」から全現象、全思考、全行動、全体が起こるのです、そして意識がそれに気づきます。本当のことを言えば全現象自体が意識ですから全現象はそれ自体が意識化されるのです。その意識が生まれる始まる前はあるのでしょうか????ないんです。

空は最初から全て

空の中に存在しなものはないんです、、空は全部ですから、、、空の中に意識が生まれるとしたら生まれる前が誕生してしてしまいます。その瞬間空は以前は全部じゃなかった、、になります。だから空には最初から意識があったのです。ということでビッグバン以前は存在せず、、最初からこの宇宙は「在り」そこに意識も最初からあるということになります。

今も意識がある

多くの方は疑問に思っていませんが、、「意識」って完璧に今にあるんです、、意識が昨日はあったけど今日はない、、、明日意識ってあるのかな?????なんてことは起きないのです。意識はいつも今にあります。その意識の中で昨日という思考が現れ、明日という思考が現れ、、俺という思考、、俺という感覚、、が現れては消えます。

意識しかない

本当は意識しか存在しません、、意識の現れが今ここです、、この花もこの机も、、この体も、、この声もこの思考も全部意識から現れ消えていきます。、、、現象そのものが意識ですから現れに気づかない現象はないんです。現れたものは全て自身が気づくということです。だから見かけ上の「私」が公園を歩く時、、様々な意識が現象化され気づかれます。

サーファー

自由の象徴

サーフィンというスポーツは自由の象徴のようなイメージがあります。なぜでしょうか????サーフィンは一人ではできません、、波という自然と一緒じゃないと成り立たないのです。人間が波に合わせることで成り立つスポーツです。波は常に変幻自在に変わりそれに合わせるというスポーツなんです、、つまり自分がこうしようああしようを無くした状態が完璧なライドを起こすわけです。

完全に今にある

サーフィンが教えてくれること、、それは完全に今にあるということです、、、今に意識を向けなければサーフィンはできません。なぜならば波は毎回毎回形をかえるため予想、思考、概念を超えるからです。この現象は実は波と同じで毎回毎回形を変えます、、、これに合わせるのが無為自然な生き方です。現実は波でその波の形状は毎回変わるのです、、、これに合わせることが楽しいとなります。

思考は大変と騒ぐ

思考はこれを大変と騒ぎます、、ですがサーファーは楽しいと言います。波の形状が変わった方が楽しいですよね???現状が変わった方が楽しいですよね????つまり今に生きる時、、、、現状の変化こそが最高なんです。楽しくなっちゃうのです。多くの方はそれを大変と言います、違うんです、、今を生きるサーファーにとっては最高に楽しいのです。波よりも現実の方がリアルでいいんです。

空(絶対)が進化する????

なわけない

空とは完全完璧無限です、、既に完璧なので、、空が気づく、空が進化する、空が発展する、、、などの動きが全くありません。そして「どこか」に在ることもなく進化するという時間ありきの存在でもありません。時間もなく動きもなく空間にも存在しない存在です。でも確実に在るのです。完全無欠で進化も退化もしない存在の中に、、、自身は無限の存在で在ると自覚する部分が存在し、、それが神、大いなる存在と呼ばれる存在です。ここには意識がしっかりとあり、、その意識の中に全現象が起こるのです。

無限の存在で在るという自覚が空を感じさせる

無限の存在であるという自覚は、、空の中で起こるので、、この自覚は空を引き寄せます。空に関心が起こるのです、、それはそのはず無限であるという自覚が空の中だからです。空との接点はこの近くの中で起こるのです。無限の存在であるという自覚を作るその場所こそが空です、、だから空を感じるわけです。ではどうしたら無限の存在であるという自覚を持つことができるのか????それは観察力です、、本当に自由意志ってないよね、、本当に自分って居ないよね、、、という実感は感じる以外にありません。この感じる力をつけていき真実に触れることができる状態を目指します。

自由意志がないことを自覚する

自由意志を手放し、、自由意志がないことを自覚すると、、、本当に楽なです。。楽すぎてびっくりします、、この楽は何なのか??????なぜこんなに楽なのか?????を考察しますと、、、そうだ、、真実だからだ、、、という気づきが起こるんです。本当に自分って居ないよね、、、の後にくるこの安堵感、、、なんだ????これは????そうか、、、真実だからだ。。という実感です。その時、、もう焦ってこれをしなきゃ、あれをしなきゃがないんです、そこに気づきます。これが全体として生きるということです。

全体として生きる

全体としていまここに居ます、、全体が主語で、、、全体の中で自分も起こり、現象が起こり、感情が起こり、、が続きます。全ては気づかれる現象として起こるだけ、、、私も起こり、体験されるが起こるのです。主語のない経験だけが起こり続け、、その後に「私」が思考されそれが体験される。。。この全体の起こりをただ観察します。本当にそこには自分も自由意志がないことも確認されます。全体だという自覚が芽生え、、空を感じるが起こり始めます。

絶対(空)を認識する

意識はどこから生まれる????

空に迫る、、、私たちの本質は空、絶対です、、、ですが空、絶対は、、、どこかに在るわけがなく、、かといって存在しないわけでもない、、言葉では絶対に表現できない次元の存在です。言葉には絶対にできないのですが確実に存在します。なぜ言葉にできないか???????ここ超重要なポイントですよ。。。。言葉とはイメージです、、言葉はその場で認識されイメージ化されます。空とは、、、このイメージを作り出す大元ですから、、イメージでは絶対にないのです。イメージを作り出す存在は非イメージでないとダメなんです。言葉を作り出す存在は非言葉じゃないとダメなんです。だから空を言葉で理解するのは不可能なのです。絶対に存在はするが言葉にはできない存在なのです。

絶対にあるなら感じる

そうです、、絶対に「在る」のですから感じることができます。我々は常に空の中に存在していてそこ以外には存在できないのですから感じれるのです。この世界は空がなかったら全く存在できず、、今空の中でこれが起こり続けています。意識が存在するのは、、、空が映像化(現象化)され、、、その映像化(現象化)の中に意識も生まれたのです。意識も100パーセント空に属しています。ただし空は「不変の自己」ですから変化は起きません。空を認識する存在が空の中に居るだけです。

無限全知全能を自覚する存在

空は不変の存在です、、無限の存在です、、、、この空の中に無限を自覚する存在が存在します。無限であることを自覚する存在、、、これをバシャール は「オールザットワン」と呼びます。私とは無限の存在だという自覚が芽生えると、、その自覚は空の中で起こっていることに気付けるのです。なぜならばそれが真実だからです。無限の存在という自覚は空の中で起こるので、、すなわち空を感じるということになります。

人間を人間として使う

意識の居場所

我々はこれまで意識をこの体の中にあると想定して生きてきました。人間の体とはこの意織の保有場所です、、その前提でこれまでを過ごしてきたんです。ですが本当は意織は「今ここ」「ここ」にあって、、、その中に体が現れています、、、意識の中に体が現れるのですから、、現れるのは全部意識の変異です。道でばったり会う人々も全部この「意識」から現れていますから、、意識の変異です。そういう意味ではこの体もあの体もあの犬もあの猫も全く同じ原料「意識」でできています。

思考も意識

そして思考も意識の現れです、、、意識が変異した現れです。感情もそうです、、感情も意識の現れの一つです。全部が全部意識の現れであり、、ゆえにそれはその場で意識されるのです。ここまで分かってきますと、、これまであった「この体」が全く違う感覚を持って扱えるようになります。この体とは意識からたまたま現れ続ける奇跡なんです、、、この体は意識の変異ですが、、、なぜか毎日現れる意識の変異です。そういう意味ではこの体は大変有難い存在です。毎日現れてくれるのですから。

有難い体

この体は意識にとって半端なく有難い存在であることは間違いありませんが、、この体以外も、、道ゆく人々、お店、道路、パトカー、、全部が全部、、意識から意識の変異として現れ続ける有難い存在です。この現象が意識から現れなくなたら、、、もう終わりです。ですが今のところ毎日現れてくれています。これが本当の奇跡なんです。意識が形を変えて毎日この体同様に現れ続けて居るんです。この空気も意識が変異したもの、酸素も、窒素も、水も全て。

悟りを悟る

釣りを悟る

釣り三昧、、釣りにハマってしまって、、、、コツを掴んだんですよ!!!!これって釣りを悟ったんです。。。釣りを完全に理解したんです。。。。毎日毎日釣りをしていたら釣る感覚がわかってしまって。。。。です。人はある特定の分野では悟りを開くんです。毎日毎日やっている合間に、、、、悟るんですよ、、、ある分野においては。だから悟りって言葉頻繁に聞きますよね、、、、、そうしたらですよ、、、、悟りを悟ってもいいんじゃないですか。。。。釣りを悟る、ラーメンを悟る、、ポケモンカードを悟ったら、、、、悟りを悟ってもいいと思います。

悟りを悟るって釣りと同じです

悟りを悟るって言葉聞いたことないですよね????でも釣りを悟れたならば、、悟りを悟るって可能ですよね????釣りに1000時間費やせたならば、、、悟りに1000時間費やしたって良くないですか????そうです、、、、釣り三昧もとい悟り三昧に入れば、、、、悟り、三昧、サマーディは可能なんです。では悟り三昧って何をするんでしょうか?????簡単です、釣りと一緒で悟りのことばかり考えて悟りの実践ばかりをすればいいのです。

呼吸法

私は悟りを開くには呼吸法が早いと思っています。釣り人がひたすらに糸を垂らすように、、、ひたすらに呼吸に専念します。釣り人が浮き輪に意識を向け続けるように、、呼吸に意識を向け続けるのです。呼吸に意識を向けること1000時間、、、、何かが変わりますよ、、、景色が変わるかもしれません、音が変わるかもしれません、思考の現れが変わるかもしれません、気分が変わるかもしれません。。。。。とにかく何かが変わります。私は全部が変わりました。

観察する王

音に光に香りに

私とはこの全現象に気づく王です、、、鳥の声、鳥、鳥の動き、鳥の色、、、これは人間の体が捉えているんではないんです。人間の体はこの王の気づきに同期しているだけです。王が気づき、それに体が同期します。全てに気づいているのは王です。王以外にこの現象に気付ける存在は居ないんです。友人が話しかけてきました、その友人の表情、顔色、声、、全てに気づくのは王です、、気づきの存在です、、、これにこの体が同期します。

王は最初から最後まで王

王が王じゃなくなる時はないんです、、、この体はしょっちゅう画面上から消えますが、、、王がこの画面上から消えてなくなることはないんです、この世界は王の所有物です。王の所有物でなかった時など存在せず、、王に気づかれない現象もまた存在しないのです。その気づきがこの体に同期します。だからこの体は王の同期媒体でしかなく、、それ以上でもそれ以下でもないんです。王のデバイスの一つです。

王の威厳が損なわれる????

王の威厳が損なわれる、王が自信を無くす????そんなことはあり得ないのです、、なぜならば王はこの世界全ての現象を生み出し気づきそして現象を消し去っていく存在です。その能力が損なわれることあありえずそしてこれからもありません。ただしこの体というデバイスは調子が良い悪いはあるでしょう、、時に失敗し、時に成功し、、時に称賛され、時に避難もされるでしょう。。ですがこの体は体でしかなく、、王のデバイスに変わりはなのです。

デバイス(体)のトリック

このデバイス(体)には脳があり、、、ここの王が意識を向けますと、、、思考が湧き出してきます、、この思考に王が意識を向けますと、、、このデバイスの人生映画が展開されます、、イメージ化、映像化されるのです。。この映画が流れ続ける間、、、、楽しい、苦しい、喜怒哀楽のストーリーが始まります。ですからもしも「苦しみ」を終わらせたいのならば、、、王はこのデバイスの脳に意識を向けない、、をしないといけないんです。それが呼吸法、断食法です。

究極の観察の弱点

松本人志

松本人志の笑いを一言で説明すれば「観察」です。究極の観察力で、、タレントさん長所、短所を言い当てます。聞いている客はまさに!!!と唸るのです。有吉のあだ名芸しかり究極の観察力なくして成り立たないのです。松本人志はそういう意味で最も観察力に秀でた芸人だったと言えます。これを悟りで分析しますと、、彼は観察中、、完全に気づきの意織でいるのです。松本人志ではなく、、気づきの意織に入るわけです。つまり悟っているのです。相手を観察する際に完全に無我に入り観察、気づきの存在に成り切るわけです。

それを有我が奪う

悟った状態、無我の状態の気づきで得た芸能力を松本人志という有我、自我が全取りしようとする動きが起こります、、、俺の才能だ!!!!です、、、だからもっと評価をされるべき、もっと称賛されるべき、もっと持てはやされるべき、、、となるんです。本当は無我に入り気づき意識そのものに入ることで、、得た気づきを、、、自我が、、、、、俺様の手柄だと乗っ取るわけです。この動きに無意識(無我の反対)になると、、、やられます、、人生を壊されるんです。

無我のままでは困る

究極の観察力は究極の無我力が為せる技ですが、、、、そのまま無我でいられたらたまったもんじゃないのです、、、自我が消えてしまいます、、自我が消滅してしまう、、自我が崩壊してしまうわけです。そこでその無我の功績を自我が所有するという動きが強烈になるのです。無我力ゆえの自我力です。強烈に強烈に自我に帰ろうという動きが起こるのです。ここを多くの人は見抜けず自我に翻弄されるのです。

自我の動きに無意識ではやられる

松本人志ほどの観察力をもっていてしても自我の動きには完全にやられてしまいます。自我の逆襲です、、究極の無我の状態での気づきを、、、、自我が強力な力で奪い取り、、自我を維持しようとします。この功績は私の力だ、この功績はもっと評価されるべきだ、、もっともっと、、、、、この声に気づきの意織(本質)が耳を傾けたら大変、、、、恐ろしいほどの渇望が生まれるわけです。松本人志ほどの功績を自我が所有したらどうなるか、、、、恐ろしいことです。

思考を観察してみる

呼吸を観察してみる

呼吸を観察してみてください、、驚くべき変化が起こるんです。何か?????呼吸が突然大人しくなるんです、、あれ????俺ってこんなに呼吸遅かったっけ?????です。呼吸に意識を向けるだけで呼吸って遅くなるんです、静かになるんです。そしてこれが正しいリズムです、神の呼吸です、大いなる存在の呼吸です。

では思考を観察してみる

では次に思考を観察してみてください、、、一気に思考が大人しくなります。ですが思考は決して止まることはないでしょう、、、、ですがそれでいいのです、、、全く気にしないでください。呼吸のリズムが遅くなっても決して呼吸が止まらないように、、思考も止まるなんてことはないんです。必ず思考も呼吸も湧いてきますからただこれをキャッチしてください、つまり気づいて観察してください。この行為を行うだけで思考が静かになることに気づいてください。

神の定位置

今あなたが呼吸、思考を観察しようと、、、決めたその場所、、、、そこが神の定位置です。神が神であるための場所です、、、この定位置を離れなければ全く苦しみは湧かないんです。神がこの場所を離れ思考そのものになってしまった時、苦しみが湧き上がります。神が思考に気づく存在から思考そのものになってしまってはダメなんです、、苦しみが湧き出します。

思考から神を剥がす

思考そのものが悪いのではないんです、思考に神が同化する、思考に神がへばり付く、思考に神が一心同体になっている状態が「苦しい」のです。ただこれだけなんです。だから神は常に定位置、思考に気づく場所に座るのです。思考に比べると呼吸に気づくのは簡単です、この呼吸に気づくという行為を通じて徐々に徐々に思考にも気づいていきます。神が神の定位置に座る時、、、真の安らぎが訪れます。

悟りと断食

マトリックスの世界は食事が必要

思考の世界、マトリックスの世界は非常に疲れるため食事が必要になります。暴飲暴食を重ねてしまうのは思考の世界マトリックスの世界が苦しく、、、この苦しみを一時でも取り除くのに食事が有効なのです。ところがこの有り余った余剰エネルギーは、、思考回転、雑念の餌として使われてしまうために次の日に雑念が酷くなるのです。結果マトリックスの世界にどっぷりと浸かるために、、また食事を暴飲暴食するという日々が続くのです。

食事から悟りに入る

まったくもって思考が回転しない、雑念が起こらないならばそれはもう悟りです。この状態を食事から入っていきます。朝食事を抜きます、昼にも食事を抜きます、、そしてお腹が鳴ったら、、、食事をスタートします。これを毎日続けます。。。お腹が鳴るまでは食べないそう決めます、、、すると最低限の栄養素しか得ないので、、そのエネルギーが雑念に向かないのです。つまり苦しみが消えるわけです。そしてお腹が鳴ればしっかりと食べていいわけですから栄養不足にもならないということになります。

呼吸法

断食中に呼吸法を実践しますととんでもなく頭がスッキリします、、、呼吸が深く深く入っていくため、、意識が思考から外れやすくなるのです。お腹が空洞状態であるために深い呼吸を妨げる要因がないのです。呼吸法の土台を断食で作り呼吸法で意識のコントロールに入っていきます。マトリックスの世界から出るのは直ぐです。マトリックスの世界は実はこの体が作り出しています、、思考に意識が意識することで毎秒ごとにマトリックスの世界を自身で作り上げているのです。この創造行為を根本から打破していくのです。