人間を人間として使う

意識の居場所

我々はこれまで意識をこの体の中にあると想定して生きてきました。人間の体とはこの意織の保有場所です、、その前提でこれまでを過ごしてきたんです。ですが本当は意織は「今ここ」「ここ」にあって、、、その中に体が現れています、、、意識の中に体が現れるのですから、、現れるのは全部意識の変異です。道でばったり会う人々も全部この「意識」から現れていますから、、意識の変異です。そういう意味ではこの体もあの体もあの犬もあの猫も全く同じ原料「意識」でできています。

思考も意識

そして思考も意識の現れです、、、意識が変異した現れです。感情もそうです、、感情も意識の現れの一つです。全部が全部意識の現れであり、、ゆえにそれはその場で意識されるのです。ここまで分かってきますと、、これまであった「この体」が全く違う感覚を持って扱えるようになります。この体とは意識からたまたま現れ続ける奇跡なんです、、、この体は意識の変異ですが、、、なぜか毎日現れる意識の変異です。そういう意味ではこの体は大変有難い存在です。毎日現れてくれるのですから。

有難い体

この体は意識にとって半端なく有難い存在であることは間違いありませんが、、この体以外も、、道ゆく人々、お店、道路、パトカー、、全部が全部、、意識から意識の変異として現れ続ける有難い存在です。この現象が意識から現れなくなたら、、、もう終わりです。ですが今のところ毎日現れてくれています。これが本当の奇跡なんです。意識が形を変えて毎日この体同様に現れ続けて居るんです。この空気も意識が変異したもの、酸素も、窒素も、水も全て。

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