孤独感

GOOGLEグラスの1億倍リアルなワンネスグラス

グーグルグラスはこの世のカラクリを暴く

グーグルグラスが注目を集めています。その中ではあらゆるエンタメを楽しめる、さも目の前にアーティストが居るかのようにゲーム展開されます。そのグラスを掛けるだけで3D展開された画像、音楽が聞け、本当に目の前に世界が広がっていきます。最終的には前に広がる何かに触れるような錯覚を作り出すようです。。。もしもこのグーグルグラスが10000億倍緻密で高性能のものが製作されたら、、、果たして人間はそれをゲームと見破ることはできるでしょうか。まずできないでしょう。目の前のキャラに触れて、体温も感じれ、香りも嗅ぐことができたときにそれをゲームと見破れるかということになります。この夢は神が作った夢です、人間様がこれを簡単に見破れるわけがありません。

ワンネスグラスは思考をインストールする度に見える世界を変えていく

この世界はグーグルグラスではなくワンネスグラスです。神がワンネスグラスをかけて人間体験をするゲームです。このワンネスグラスでは人間が何かを経験し信念を書き換えていくと見える世界が変わっていきます。思考がこのOSをアップデートしていき見える世界を変えていきます。経験し信念が書き換わるとOSがアップデートすることで見える世界が変化します。妊娠すると街中に妊婦さんが増えるように、ベンツに興味が出ると街中でベンツを見かけるように、買いたいスニーカーが出ると、町中でそのスニーカーを履く人が増えます。ワンネスグラスは信念の書き換えでいかようにも見える世界を変えます。

最後はワンネスグラスを外して神(ワンネス)に戻りたい

ワンネスグラスの問題点は、そのグラスをかけている限り本当の意味でストレスは解消できないということです。ワンネスグラスをかけている限りワンネスの状態(歓喜、平和、安堵)に戻れません。どこかでグラスをかけているというこの事実を発見する必要があるのです。どこかでグラスを外してやっぱ裸眼最高だよなと思い出す必要があるのです。ワンネスグラスはワンネスが退屈、ストレス、孤独感、苦痛感を楽しみながらもやがてか安堵、平和、歓喜を思いだすための道具です。

これが夢なのは分かった、だからどうすればいい?

夢だろうと事実だろうと生きていかなくてはならない、、

これが夢なのはわかりました、ですがだからといって今後どうすればいいのか?夢の中かもしれないが、、生きていかなくてはならないという事実は何も変わらない。ということになります。不足感、欠乏感が続くのも同じではないか、ということです。人間の悩みの9割は人間関係だと言われています、そこにはしっかりとした独立した人間が居るという大前提で人間関係が行われるわけですが実はその人間は夢の登場人物に過ぎません。ということは主人公である私がいかに相手との関係に努力をしたとしてもその努力がどのぐらい報われるかは全部夢を見ている張本人(大いなる一つ)が決めています。そこの人間としての努力が及ぶわけがありません。つまり人間関係が上手く行くかいかないかは全部神が決めているということです。この事実だけでも人間関係を上手くいかせようとする気持ちは半減するはずです。

生きて行くのは事実だが悩みは確実に減る

なぜ自分のことを分かってもらえないのか?なぜ自分の努力を見てくれないのか?なぜ自分の配慮を感じてもらえないのだろうか?これらの悩みは「これが夢だ」という確信で全部ぶっ飛びます。夢の中での相手の行動は夢を見ている存在が全て決めているからです。その存在は本当の方の自分です。本当の方の自分が決めた決断を、とりあえずの自分(人間)が攻めても仕方がないのです。悩みっていうのはどこまでいっても自分(人間)の思い通りにならない、、ということですから、、、実は本当の自分が全部思い通りの決めているのならばこの悩みはぶっ飛ぶのです。

それでも残った目標、悩み解決には無心になって取り組む

これが実は夢だったという事実を目の前にすると、多くの悩みはぶっ飛びます。ですがそれでも不足感、欠乏感、孤独感は湧き続けるでしょう。この感情に対しどうするか、、、その目標達成、悩み解決になって無心になって取り組むのです。花道のように、茶道のように、武道のように全部をルーティンの所作、練習によってそこから無心、無思考、無我に入って行くのです。その目標達成のために歓喜、平和、安堵に入って行くのです。

神が作ったこの夢の中で主人公(私)は他の登場人物の心配不要

スライムの心配をする勇者はいない

ドラゴンクエストで昨日退治したスライムを心配するプレイヤーはいません。マリオカートで二位に蹴落としてしまったクッパを心配をするプレイヤーはいません。ポケモンで退治したモンスターを思いやるプレイヤーはいません。もう分かりましたよね、この夢物語、現実社会で主人公である私が攻撃してしまったので相手のことを何ヶ月も心配する必要は一切ないのです。残念ながら主人公以外に自由意志や隠れた感情はありません。とてつもなく傷ついたと言ってきたとしてもそれはそいう表現が生まれただけです。クッパが本当に傷ついたとマリオにゲームで伝えてきてもその状況は事実でも本当ではありません、ゲーム上そうなっただけです。ですから我々は他人の心配は今後一切する必要がありません。そんなことよりも私のこの不足感、欠乏感、孤独感を埋めることだけを考えればいいのです。

スライムは悪意があって勇者を攻撃したのではない

逆に言えばあなたがどんなに酷い扱いを他人から受けたとしてもそれはあくまで夢、ゲームの中であってそこに悪意はありません。信じられないかもしれませんがゲームと同じですからそうなります。勿論その相手に真意を尋ね、なぜこのような扱いをしたのか?と聞き倒せば何かしらの感情を吐露するでしょう、相手は。ですがこれもゲーム上そう言っているだけであってそこには実は何もないのです、夢ですから。多くの方はなぜ?このような扱いを?なぜあいつはこんな性格なのか?なぜ?と三日三晩考えてしまうかもしれませんがそれはスライムに攻撃した理由を聞き続けるのと同じぐらい愚かなことです。

スライムが嫌いならば遠ざけるそれだけ

勘違いをしてはいけないのはだからと言って他人からの攻撃を無抵抗で受けろということでは断じてありません。ガンガン抵抗しやり返せばいいのです。重要なことは相手のその攻撃に理由がないということです、これは夢です。夢での行動に理由はないのです。夢の創造主が勝手にそうしただけです。人間のような高度な頭脳を持った存在であって相手はスライムではない、、このように思う人もいるかもしれません。ですがこれは神が作った夢です、神のコントロールなしにこの夢が進展するはずがないのです。神の許可なく動ける登場人物はいません。

神は人間に成り切ってはいるが「私はある」というこの感覚は神の感覚でしかない

今ここに「居る」という感覚は神の感覚

これは神夢です、神が創造した夢です。人間を主人公(私)にしてこの夢を創造しました。神は人間に成り切ることでこの夢はスタートしていますがでは神感覚と人間の感覚はどのように区別すればいいのでしょうか?区別はできません、なぜならば人間も神の創造物だからです。思考が湧き、感情が湧き、五感を感じているのは全て人間扮する神です。神が今この瞬間も自身を人間と勘違いしながらこの夢、ゲームを堪能しているのです。

この世に苦しめる神など存在するのか?

この人間活動を認識しているのは神ですから苦しみも切なさも、息苦しさも、孤独感も神が感じています。人間のフリをして。神以外が認識することはできません、人間とは姿形の生命現象であってこれは独立したものではありません。神がこの夢の中を活動するための仮の姿です。マリオに感情はありません、マリオを使ってゲームをクリアした時に喜んでいるのはプレーヤーです。これはこの夢物語でも同じです。マリオを使ってに喜怒哀楽は全部プレーヤーが感じているのであってマリオではありません。マリオの使い勝手の悪さも、マリオのジャンプ力の低さに対する苛立ちも、マリオが横にしか動けないもどかしさも全部プレーヤーが感じています。

人間としての孤独感は、一番の勘違い

人間活動の最も大きな要素は孤独感をいかに感じないようにするか?これをクリアするために朝から晩まで我々は人と触れ合い続けています。どんなに人間関係が苦しくてしんどくても我々は人間を求めます。神が作ったこの夢で主人公はこの私ですがそれ以外は全部神が作った脇役です。主人公とは全くの別物、別次元です。ですからこの夢の中で多くの友人、知人、家族に囲まれてもこの孤独感が埋まることはないのです。神が扮するこの主人公(私)が実は神であったと気づくまでこの孤独感は続きます。

神は夢の中で絶妙な脇役を用意する

主人公のレベルにあった脇役をベストなタイミングで用意する

これは夢です、神が制作総指揮を務める夢です。主人公は人間(私)そしてこれを演じるのは神です。神が人間(私)に成り切ってこの夢、ゲームを貫徹していきます。この夢ではあらゆる脇役が登場します。最初は両親、兄弟、近所の友達、親戚のお兄ちゃん、学校へ行けば同級生、就職すれば同期、先輩、後輩、その都度その都度この夢では最適な脇役が主人公である私の側を固めていきます。そしてその脇役との絡みで主人公は苦しみ、楽しみ、歓喜し、安堵し、怒る、、、というわたる世間は鬼ばかりのような人生ドラマを構築していくのです。神が主人公に成り切っていますから基本不足感孤独感が湧き出てきてこれをあらゆる感情に置き換えていきていきます。

神が脇役の配役に失敗するわけがない

映画ではたまにありますよね、配役ミス、脇役ミス、、、ですがこの夢は神が制作総指揮ですから配役を失敗するなどあろうはずがありません。主人公(私)に関わる配役は全て完璧に行われています。ゲームをエキサイティングにするため、夢をよりリアリティーにするために寸分の狂いもなく完璧な脇役が脇を固めるのです。ですからあの人との出会いは失敗だった、あの会社は失敗だった、、あの友人との出会いは失敗だったと思ってもそれは無駄、、完璧な配役に文句を言っている大根役者です。神のセッティングに狂いはないのです。だからこそ今の人間関係を憎むのではなくそれをヒントにこの人生をいきていくことが重要になります。自分の行動を鏡で見せてくれているかのように学んでいくことです。

誰も自分のことなど理解してくれない、、、

主人公の脇役は完璧な配役が務めていきますから主人公のことを全く理解できないというケースは稀です。もしもそうならば新しい環境を選ぶ必要があるか、そういう時期だということです。スライムが全く自分の強さを分かってくれない、、この時ドラゴンクエストの勇者は次のステージに行きます。もしもそれが出来ないならばその勇気がまだないということです。勇気がないうちはスライムと戦い続けるのみです。

神は夢の中で不足感を貯蓄していく

不足感を体に蓄え続けてコップをいっぱいにする

これは夢です、神が作りその中で人間を主人公にした夢です。この夢物語、ゲームは人間の五感をベースに構築します。視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚、、これらは幻想にリアリティーを与えるツールになります。そしてそこに思考、感情を加えることでこのゲーム、夢はより一層リアリティーを強化します。主人公である人間を演じるのは神ですから圧倒的な不足感を感じます、神が。ということで主人公演じる神は不足感をあらゆる感情に置き換えてそれを蓄えてこの人生を歩んでいくことになるのです。孤独感、劣等感、疎外感、憂鬱感、、、これらを記憶し体に溜め込んでいきます。大人になるにつれて重苦しい空気が出てくるのはこの感情の蓄積です。

感情の蓄積はある時に爆発する

人間に成り切った神は不足感を噴出し続け、それは各種感情として蓄えていきます。人間には記憶機能があるため過去の悔しさ、惨めさ、辛さを記憶していきます。不足感のデパート、冷蔵庫、貯蔵庫のようになっていくのです。この貯蔵タンクが満タンになった時、人は爆発しこれまでの生活を完全に壊すのです。それが転職だったり、離婚だったり、病気、不登校だったりします。この人間ゲームは記憶機能があることでよりエキサイティングになる一方、辛さ、キツさ、しんどさ、もより一層強化されます。

コップいっぱいになった時に、、、

コップいっぱいになった時に人間が行動できることは2種類あります。それは限界まで耐え抜き、弾け、壊れ現状をぶっ壊してしまう方法、もう一つが人間のこの欲求不満ゲームから積極的に降りてしまうということです。欲求を満たし続けても埋まらないこの不足感に脱帽し人間の本質、神に迫っていくという方法です。書道、花道、禅、仏教、悟り、ノンデュアリティーなどはそれに当たります。ほとんどの方はこの中間を行くことになります。

神は夢の中で人間に恋愛を与えた

恋愛とは人間の救済措置の一つ

これは夢です、神が作った夢です。神はこの夢の中に人間を創造し人間の五感を使ってこのバーチャルリアリティー、立体型3Dゲームを作りました。人間が触ればそこに物があるように錯覚でき、人間が目線を動かせば見える世界が変わります、人間が匂いを嗅げば何かしらの香りを錯覚できます。そこにさらに感情、思考を+することでこのゲーム、夢は完全無欠な状態になっていきます。誰もこれが幻想、夢、ゲームとは見破れません。全員がほぼ騙されます。神が作ったこのゲームを見破れる人間などいるはずがないのです。子供は実はこのことを知っていますが伝える言葉を持ち合わせていないのでこの事実は封印されているのです。オープンシークレットという言葉は絶妙にこれを言い当てます。人間という極小の存在に成り切った神は不足感、絶望感、欠乏感を感じ続けるということになるのです。この不足感を一時的に満たしてくれる存在、それが恋愛です。

恋愛は不足感を癒してくれる

人間が恋愛に憧れるのは、この脈々と湧いてくる不足感を癒してくれることだからです。自分を好きになってくれる存在がいる、、自分を必要としてくれる存在がいる、、これは根本的な不足感を一時的に癒してくれます。自分は一人ではない、、、この地球上で一人で生きていない、、このように孤独感を癒してくれます。全部(神)が一部(人間)に成り切っているので再び全部に憧れます、渇望します。それを癒してくれるのが恋愛です。

問題はそれでも不足感が沸き続けること

ただしこの夢、ゲームは容赦無く人間に不足感を感じさせます。この不足感は神が人間になってしまったという根本的不足感ですから恋愛で全ての不足を満たしてくれるわけがないのです。ということで人間はこの不足感を埋めるために次の目標を定めるのです、自分には子供が足りない、自分には家が足りない、、自分には車が足りない、、自分には孫が足りない、、このようにこのゲームは続いていくのです。最悪にもこの不足感を相手にぶつけると大変、相手の粗探しになります。もっとこうして欲しい、もっとこういう態度をとって欲しい、もっと収入の良い仕事に変えて欲しい、、これは破綻に向かいます。ベクトルが内に向くか、外に向くかの違いです。

怒りが収まらない時の対処方法

怒りすらも不足感の代替

これは夢です、ワンネスが見る夢の世界です。あなた(主人公)の前に広がるのはワンネス(本当のあなた)の夢(本当のあなたが変化したもの)です。もうお分かりですね?あなた(主人公)の目の前にはあなた(本当のあなた)しかいません。生まれてきて今まで本当のあなたにしか会ったことがないのです。それに気づかない時、あなた(主人公)には不足感がただひたすらに湧いてきます。不足感、欠乏感がただひたすらに湧くのです、夢の中で。この不足感が何かしらの感情に変化してあなた(主人公)は常に動き回っているのです。その一つの感情が怒りです。

あなた(ワンネス)しかいない世界であなたを探し回るあなた(主人公)

あなた(主人公)は常に不足感を抱えています。常に欠乏感、孤独感を抱えています。それはあなた(主人公)があなた(本当のあなた)を見失っているからです。あなた(本当のあなた)に会いたいのにどこに行ってもあなた(本当のあなた)がいないからです。あなた(主人公)がムキになればなるほどにあなた(本当のあなた)は隠れます、なぜなら本当のあなたはこの夢の対象の一部ではなく、対象全部だからです。対象の一部をあなた(本当のあなた)だと勘違いしても直ぐにその真実を突きつけられるからです。このやり場のない感情が怒りです。

名声を得て安定を得て権力も得てそれでも湧き続ける不足感

この夢の中(本当のあなたが変化したもの)の特定の何かをあなた(主人公)が手に入れてもそれは直ぐに消えて無くなります。手に入れたのも一部(本当のあなたの)でそれを手に入れたのもあなた(本当のあなたの一部)だからです。「全部でないもの」を「全部でないもの」が手に入れただけのこと。全部にはなりません。ということでまた不足感が湧いてきます、そしてそれは怒りに変わります。だから怒りを否定するのではなく怒りの奥深くにある不足感に目を向けるのです。不足感はどこから湧いているのか?不足感が湧いているのはこのちっぽけなあなた(主人公)をあなたと勘違いしてるあなた(本当のあなた)から湧いています。その時本当のあなたを発見することができます。本当のあなたはここに居ました。怒りを発生させている場所こそが本当のあなたです。本当のあなたが勘違いをしなかったらこの怒り、不足感は湧いてこないからです。本当のあなた無しに全感情は湧いてきません。怒りが湧くということはあなたが本当のあなたである証拠です。

この苦しみを終わらせることができるのは思考だと言い張る思考

今のこの苦しみ解決は思考に任せろと主張する

これは夢です、ワンネス、大いなる一つが見ている夢です。この夢の中に自身がいるという錯覚からこの夢物語はスタートしますがこの夢物語、ここに居るだけで基本苦しみが湧いてきます。湧くように設定されているのです。そしてこの苦しみをいかに解消するか?そこで出しゃばるのが思考です。我こそがこの問題を解決できるぜよ!と主張し問題解決に手を挙げて立候補します。結果思考が主導権を握り表面上は問題が解決されていきます。ところがです、また不足感、欠乏感、孤独感が湧いてきて次なる問題が発生するのです。そこでまた手をあげるのが思考です。前回は我こそが問題を解決した、今回も我に任せよ、そう主張して前回の実績を掲げながらさらに前倒しで主張してきます。結果この思考が大活躍してまたしても問題解決を図るのです。ところがです、またしても欠乏感、欠落感、孤独感が湧いてきて次なる問題が、、、、こうして人間の苦悩は延々と続くのです。

思考に問題解決を委ね続ける限り苦しみのループからは抜けれない

思考に問題解決を委ね続ける限りなぜ苦しみが解決しないかと言えば問題の本質を完全に見失っているからです。不足感、欠乏感が湧き出るメカニズムこそに思考がガッツリ絡んでいるのです。我こそがこの心身なりという思考、この思考こそが苦しみを沸き続けさせる根源です。この根源である思考が問題解決のためにフル回転する限り根元のメカニズムが解体するわけがないのです。問題が起きた時に思考に頼らない、むしろ一切の思考を使用しないで解決する方法を考えます。それが同じ動作のルーティンです。同じ動作、作業を繰り返すことで問題を解決させていきます。思考の出る幕を最初から遮ってしまうのです。

例えばダイエットであれば、、、

例えば体型にコンプレックスを抱く方は、、一日中ネットサーフィンをして自分を解決してくれる情報を漁ります。来る日も来る日も自分の問題を完璧に解決してくれるだろう情報を探し回るのです。思考フルスロットル、思考全開でこれらの情報に触れ続けていきます。結果そのような問題解決に至ってもまた新しい問題が湧き出てくるわけです。そうではなく1日30回ストレッチをすると決めて思いついたらやるを繰り返していきます。気づいたらストレッチ、気づいたらストレッチです。こうすることで一切の思考に頼らずに無心に入っていけます。どんなルーティンで今回の問題を解決するか?これを基本に問題解決を図るのです。思考を問題解決に最初から参加させない、これがポイントです。無思考な状態(至幸)で問題解決を図れば途中段階も至幸になれるということです。

夢の中で本当に目指しているのは戻ること

あらゆる欲望、目標は全てこの代替品に過ぎない

双対の世界に「私」は誕生しそこからこの私は色々と動き回っています。なぜかじっとしていられない、、、中から衝動が溢れてくるのです。退屈、暇、刺激が欲しい、安定が欲しい、認められたい、、何処かに属したい、、好きなことをしたい、、目立ちたい、認められたい、、、このような欲、目標が泉のように湧いてくるのです。どこまで行ってもこの欲がなくなることがなくこれを釈迦は「苦」と表現しました。この表現は人類で初めて真実を突き止めた人と称されるのは理解できます。ただし釈迦、ゴーダマシッダルータも夢の登場人物に過ぎないので人間ではありません。大いなる一つが人間錯覚ゲームをしているのですから不足感が湧くのは当然のことです。

自分がなぜここまで欲望につき動かされ続けるか分からない

希望の大学にさえ受かれば楽しくなるはず、希望の会社に就職が決まれば楽にらるはず、結婚相手が見つかればこの孤独感はなくなるはず、、人間はあらゆる目標を設定しそれが成し遂げられた暁には今の問題は消えてなくなると信じます。ところがそれが成し遂げられても一瞬で次の苦しみが襲ってくるから面白いものです。人間とはこのようにラットレースに乗せられ続ける存在なのです。それは私をこの体(人間)思考であると錯覚することからスタートします。

先ずは欲望に騙されない、、ここから深刻人生から脱却する

これは夢です、そしてその夢の中にいる時苦しみが湧いてきます。夢の中に自身はいるんだと勘違いし続けている間だけこの苦しみが湧いてきます。そしてその苦しみを解消するためにあらゆる欲望が湧いてくるのです。大いなる一つに戻る代わりにあらゆる欲望が湧いているのです。この事実から逃げなければもう欲望がそれを叶えてくれるとは信じないはずです。湧いてくる欲望に振り回されるのではなく欲望を通じて無心に入る、無思考に入る、もしくはこの事実を直視するという次元に入ります。