仕事

体は何も所有できない、思考はあらゆる物事を所有していく

軽いの究極が悟り

軽いの究極が悟りです、重いの究極が苦しみです。体は何も所有できません、所有するのはいつも思考です。体の感覚に身を委ねて生きていきますと何も所有できなくなります。一方思考優先で生きていきまストあらゆるものを所有していくことになります。体優先は事実優先、事実の先には真実があり、真実の先に悟り、非二元があります。ですが思考の先には思考しかなく、これは虚の世界、幻想の世界です、ここは真実からどんどん離れていく世界です、苦しい世界です。

仕事など3割の力でできることでいい

ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなりました、真面目な方だったということです。真面目な方は手を抜くのが嫌いですから何でも全力投球、それは素晴らしいことです。ですが自身の実力が至らないようなステージに上がってしまっても頑張ってします、何とか爪痕を残そうとする、、、これらは思考の世界です。思考の世界にガンガンに入っていきます、苦しくなります。仕事は三割の力でできるようなことがあるはずです、そこで真摯に向き合ってやればいい、この仕事は格好が悪い、見栄えが悪い、評価が低い、、、これらは思考です。苦しみの世界です。

思考のトリックを見破る

仕事で結果を出せなくて悩む、思考する、、、すると思考の世界に飲み込まれていきます。どんどん苦しくなります。そしてなぜこれほど思考しているのに苦しいのか?とさらに悩みます。結論を言えば思考しているから苦しいのです。仕事で結果を出せないのは実力が至らなかったから、それだけ。淡々とその事実を受け入れ実力で食べれる世界を探すのみ、そこに思考は実は入りません。ですがそこで考えてしまう、どうしたら結果が出るだろうか??ここから苦しみの世界に入り込んでいきます。

完璧な事実に対し不満をいう「思考」

現象は全部完璧

我々の前に現れる現象で完璧でないものなどありません。山に行けば完璧でない自然現象など絶対にない、、川があり木が育ち、動物がいて、、完璧なバランスで成り立っています。不完全を探す方が難しい、、、これは人間社会でも全く同じで全てはバランスで成り立っていますから完璧に向かって宇宙現象がただ起こっています。この宇宙現象に対し人間の思考(自我)が不満を言います。この不満は恐ろしいほどの無知から成り立っています、だからここに乗っ取られると苦しくなるのです。

不満を言いたがる「思考」

思考は常にこの目の前の事実、現実、現象に不満を言いたがります。というよりも不満を言うのが仕事みたいなものです。思考の役割はこの体を維持して行くことにありそれが最優先です、ですからこの不満は当然と言えば当然です。ですがせっかくのこの思考に引き込まれていきますとひたすらに苦しい、なぜならば思考が述べる不満は事実とは全く関係がないからです。そして事実には苦しみがありません。

思考で悟ることもできない

しかし思考によっては人を軽くしてくれるものもあるではないか??一時的にはしてくれるかもしれませんがあくまでも実戦でそれを腹落ちしなければそれはその場しのぎです。自己啓発セミナー、成功セミナーの受講生がなぜほとんど成果が出ないのか??それは実践が伴わないからです。実践とは五感(事実)の世界です、五感(事実)が五感(真実)を呼びます。五感(事実)の先にあるのが非二元、無心、無我です。思考の先には思考(幻想)しかありません。幻想の先には重さしかありません。

事実(非二元)以外は思考(二元)するのを辞める

事実(非二元)だけ見ていく

これからの将来、、、こんな事態になる可能性があるから今からこんな準備をしていかなくては、、、これは思考が考えだす不安から来る思考です。これは事実とは全く関係がありません。事実がこうなっているから将来こうなるのでは????これ事実から湧き出た思考です。この思考に我々は取り込まれていきます。事実は非二元です、ですが事実から湧き出る思考は二元です。この思考に取り込まれていくから二元に取り込まれます。そして二元の世界は苦しみの世界です、酸素が薄い世界です。

事実(非二元)だけを見ていけば本来は全く重くならない

例えば今ロシア、ウクライナが戦争を起こしています。これは事実(非二元)です。ですがこの事実に基づいて我々は重く重く考えていきます。第三次世界大戦になったら、核戦争になったら、、こうやって思考、自分、二元の世界に取り込まれていきます。ここは苦しい世界です。ですが事実だけで言えばロシア、ウクライナ戦争の影響はほぼ生活には支障がないです。仕事があぶれた、会社が倒産した、ウクライナ人難民が街に溢れた、、これはないですね、、つまり事実は何も起きていないのです。何も起きていないならば事実は軽いままです。これが非二元です。

事実(神)は重くない

神が居る世界は重くないです、神が薄れた世界、、思考の世界は重いです。神が居る世界、思考以外の世界では事実は淡々と起きていきますが実は大したことはないです。なぜならば神の世界だからです。では事実として東京直下型地震が起きたらどうなんだ?という話をしましょう。もしも事実として起きてそこに入れなくなったら移動するだけです。会社も失い家も失い全部失ったらそれは重いだろうと、、それは違います、会社を失い家を失った時に、、、これからの人生をどうしたらいいのかと思考が湧き出して思考(二元)に取り込まれるのが分かっているから苦しいのです。事実は何も苦しくないのです。事実とは神が居る場所です。そこから離れて思考、自分、幻想の世界に行ってしまうから苦しいのです。

ギャンブルしている時だけは思考が落ちる

ギャンブル狂は思考から逃げたいだけ

ギャンブル中毒、、、今話題のYOUTUBERガーシーは自身をギャンブル中毒と認めています。あれだけ頭の回転が良い人がなぜギャンブル中毒になってしまうのか???ギャンブルをすればお金が無くなる、、、これは中学生でも理解できる。あれだけ頭が良い人がなぜギャンブル中毒になるのかという話です。結論から言えば思考の回転が速いからギャンブル中毒になったということです。彼の会話のテンポから誰でも分かると思いますが思考の回転が異常に早い、、、もしも日常生活であれほどまでに思考に取り込まれてしまっていたらどうなるか???死にたくなるほど苦しいはずです。思考に取り込まれた状態は今から離れます、今とは全体、ワンネス、大いなる存在の場所、、、ここから徹底的に離れます、、、、そこは非常に居心地の悪い場所です。それを回避してくれる救いの神こそがギャンブルです。ギャンブルは頭を使います、五感をフル回転にします。空気を読みます、、、、これらは実は今に居ることを可能にします。その瞬間思考のループが外れます。居心地の悪さが解消されます。

カイジで読み解く

ギャンブル漫画のカイジ、、、カイジは絶対絶命のピンチの際に、、ギャンブル相手の顔色、雰囲気、空気、言葉、、に全集中していきます。五感をフルスロットルさせていきます。体をフル回転しています。この瞬間今にあるのです、、、思考からの乗っ取りを回避しています。体に全集中している状態は、、、思考の乗っ取りが消え失せていて安堵、歓喜、平和に襲われているのです。五感をフル回転にさせなくてはならないスポーツ、ギャンブル、仕事、恋愛、、、全てはこのパターンです。

思考を放置せよ

ガーシーはあれだけ思考の回転数が早い人、あの状態を日常生活でやれば恐らく死にたくなるほど居心地が悪いはずです。解決方法はギャンブルではないのです、思考を放置する、これだけです。思考が湧いてきても気にしない、放置のみ。そこから思考のループに入らなければいいのです。頭の回転に自信がある人は思考を信用しています、思考を無視できない、、、結果思考に飲み込まれて、、、苦しみの世界に入り込んでいきます。

面白いも苦しいの一つ

TVゲームは楽しいの次の日に退屈が襲ってくる

TVゲームが好きな人は分かっていると思いますが昨日まで楽しかったゲームが次の日に全く面白くないということが起きることが多々あります。突然飽きて全く面白くなくなる、、、これ人間の本質を突いています。人間にとって楽しいはある日突然飽きるに変わる可能性があるのです。これは非常に辛いもの、苦しいものです。人間関係ではこれは顕著に出ます、、それまで楽しいの関係がある日突然苦しいに変わる、、、、絶対に誰でも経験したことがあるはず。人間の快不快は常にコインの表裏、快不快はどちらも苦しみの次元にあります。

人間の快不快が苦しみならば、、

芸能人の売れる売れないはどちらも苦しみです。自殺者が出ればそれは容易に理解できます。人間にとって他者評価の高低はどちらも苦しみです。人気者も不人気者も実はどちらも苦しみです。そうです「自分」という存在が引き起こす快不快はどこまで行っても苦しみにつながるです。これが人間の本性です。いかに早くこれに気づくかです。神が人間になり切ってこの人間ドラマを生きていますがこのドラマの卒業以外にこの苦しみを解消することは不可能です。

楽しいを追い求めるのではなく、、

楽しいを追い求める=苦しみの世界に移住です。そうではなく全作業から歓喜、平和、安堵に入れることを知ります。掃除、食事、仕事、エクササイズ、全作業が無心、無我に入る入り口になります。このことを知るのです。何かをしたら面白くなるかもではなく、、、全作業に集中して取り組みそこから無心、無我に入っていきます。全作業を花道、書道、剣道のように無我への入り口に使います。

朝嫌なニュースが届いた、満員電車が窮屈だった、、全部嘘

不快な出来事は全部嘘

朝起きて早速TVを観たら嫌なニュースがやっていた、、そして通勤のために満員電車に乗ったら窮屈で不快だった、、コンビニでコーヒーを買ったら冷めていて不快だった、、、、人間はあらゆる原因で不快感を味わっていますがこれ全部嘘です。神が人間活動をしている時点で基本不快なのです、、、その不快さをあらゆる出来事が表面化しています。あらゆる出来事が現実に落とし込んでいるのです。基本に不快感、居心地の悪さ、窮屈感があり、、それをあらゆる出来事が表面化させている、、、これが答えです。

神が人間をやっているという違和感が変化しているだけ

あらゆる人間同士のトラブル、争い、紛争、、、これらの根源は神が人間をやっていることによる違和感、絶望、孤独です。皆ここから来るストレスと闘っています、このストレスが苦しすぎて、でもこの事実に気づいてもいないので人に対してそれをぶつけるのです。仕事が辛い、仕事の人間関係が苦しい、家族の人間関係も辛い、、、違います。。神が人間をやっているのが辛いのです。

この事実を受け入れると悩みがぶっ飛ぶ

この事実を受け入れますと悩みがぶっ飛びます。今まで様々なことに悩んできたかもしれませんが全部それは違和感の代替作業だったのです。神が人間をやっているこの違和感が大前提にあって、、、それが人間活動の悩みに置き換えられてきただけだったのです。受験が辛い、学校が辛い、塾が辛い、部活が辛い、会社が辛い、暇が辛い、結婚が辛い、一人が辛い、、、全部嘘です。

神は人間という狭い箱に閉じ込められ快楽に飢えている

この世のエンタメは神のためにある

お金がある人間はなぜ快楽のために1日で何百万、何千万という金額を使うという狂った行動をするのか???信じられないような大金をなぜ使うのか???この疑問について深く考えた人はあまりいないでしょう。カジノなどで豪遊する富豪が大金をドブに捨ててもなぜまたカジノに行くのか???答えをお伝えしましょう。神が人間という小さな箱に閉じ込められ快楽に飢えているからです。

人間の体に閉じ込められた神は飢える

カジノに狂う、異性に狂う、、、これは決して金持ちの特権ということではなく誰でもこの傾向はあります。なぜならば全員の体には神が収納されていて怒り狂っているからです。なぜこんな小さな体に閉じ込められているのか??と。勿論神は確信犯的にこれを行ったわけですが問題なのはそれを忘れているということです、だから神は狭い空間に閉じ込められて怒り狂っているのです。自作自演のオチです。

人間の欲望を甘くみない方がいい

私は20代の最初、、、仕事なんて何でも同じだから安定したホワイト企業であればいいだろうとそこに苦労して就職しました。ですが入社してみてビックリ、、、自分自身のストレスが尋常じゃないのです、、もっと面白い仕事があるのでは???ひたすらに湧いてくるこの焦燥感、、、この焦燥感には本当に手を焼きました。だから断言できますが人間の欲望は甘くみない方がいいということです。神が人間の閉じ込められて怒り狂っている、その怒りの矛先こそが欲望です。

「幸せ、嬉しい、楽しい」の真実

実は「自分」がいないときに湧いている

幸福、嬉しい、楽しい、、、この感情を自分が味わっているとき自分は気分が良くなります。それで自分はまたこの感情を味わいたいと切に願います。ギャンブル、恋愛、お酒、タバコ、仕事、、、、このパターンを覚えた自分は何度もこれを繰り返していきます。ですが皮肉なことに、、、、実は、、、「自分」が居ないときにこの感情が湧いているのです、というよりもこれは感情ではなく「無我」です。亭主元気で留守がいい、、、これです!!亭主は家に帰ったときに家族が幸福そうな姿を見て俺が帰ってきたからみんな幸福なんだと勘違いします、、、、本当は亭主が家にいなかったから幸福だったのです笑、、、なんという皮肉、、、逆、ブラックジョークです。これは人間も同じ、、、体、思考、感情を「自分」とする感覚が抜け落ちたとき、つまり自分が居なくなる時幸福が湧いているのです、、、、そして自分は勘違いします。。ただ麻雀、ギャンブル、お酒、恋愛が楽しかったのだと、、自分が楽しめたと勘違いするのです。実は自分が居なかっただけです。

自分が家族を幸福にしている、、、

亭主の帰りを心待ちにしている家族は実はなく、、、いない状態が平和で歓喜で安堵だっただけ。そこに帰った亭主はうちはみんな幸福そうで素晴らしい、、と大きなる勘違いをします。。。。。そして次の日はしっかりと会社に行くことで再び家族に平和が訪れます。。この勘違いを「自分」がやっているのです。自分とは本当に可愛らしいモノです、、、なんと抽象度が低い存在なのか。。。

自分を無くしてしまう

自分がいないときに平和、歓喜、安堵が押し寄せてくる、、、これがわかった以上、、答えは簡単、、、、もう全部を自分にするのを辞める、、、これだけです。。。。思考が湧いてもただ湧いただけ、、感情が湧いてもただ湧いただけ、、、肉体に異常が起きてもただ起きただけ、、、自分ごとにしない、、、自分と同一化しない、、、これで自分はこの世から居なくなります。名前を呼ばれてもただこの肉体(思考、感情)が呼ばれただけ。。。それは自分ではない、、、、常時これです。この世界に「自分」はいない、、無我しかない、、、

目的のために手段選ばずの末路

将来あの家が欲しい

将来あの家が欲しい、あの家を手に入れたらば幸福になれるはずだ、、多くの方は考えそのために10年間我慢して仕事を頑張ろうとします。その10年間はとにかく我慢、ストレスに耐えながらでも生きていこう、、こうなります。ですがこれは間違った考え方です。もしもそれでその家を手に入れても満足できるのは一瞬、次の瞬間からまた欠乏感が押し寄せてきます。

手段の中に既に目的がある

実はこの手段の中に目的が内包されています。手段から実は目的に入ることができます。例えば家のために仕事をするとしてその仕事に集中できるのであればそのまま幸福になれてしまいます。集中とは無心になって行えること、無心、無思考、無我になって行えるとき、、、そのまま平和、歓喜、幸福になってしまいます。そうです今瞬間に家を手に入れたら獲れるはずであったものが手に入ってしまうのです。感情、思考と大いなる存在、意識との同一化が解消され分離意識がなくなったとき、人はそのままで至福に入れるのです。

もう家を手に入れる必要がなくなる

多くの方が大きな家を手に入れたくなるのは、、その家を手に入れたならば幸福、歓喜、安堵が手に入ると思っているからです。それは間違いありません、手に入れた瞬間はそうでしょう。ですがその次の日から徐々に感動が薄れていき不足感が湧き出してきます。それはそれこそが思考と同一化した「自分」のメカニズムだからです。そうではなく思考、感情との同一化から離れ全き意識、全体、気づきの意識に今なることで至福、歓喜、安堵を感じれるようになります。全仕事、全作業、全日常行為に集中して入ることでその場で歓喜、平和、安堵を感じれるようになるのです。そのときもう手に入れるべき家のことを忘れます。

いつか成功する、この発想が成功ではない

将来成功するという発想が成功ではない

本当の成功は今成功することです、将来成功するというのはあくまでも妄想です。成功を知らない人が成功をイメージするために無理くり作り出したアイデアです。真の成功とは今成功することでしかなく将来成功するなど意味不明です。今成功する?意味が分からないかもしれませんが成功は今しかできないのです。結論から言えば成功とは無我になることです。無心無我になることそこが真の成功です、なぜかと言えば無心無我は絶対に人から奪われない成功だらかです。将来成功するの成功はおそらく物理的成功でしょう、ですがそれらは時間が経てば奪われてしまう可能性がある成功です。人から奪われてしまうような成功は真の成功ではありません。

成功は今するもの

今無心無我に入り込めば成功が押し寄せてきます。真の成功とは時間を超越したものです、そして一度それを成し遂げたら人から奪われるような安物であってはいけません。一生の成功を約束されなければ偽りです。成功とは自我が抜け落ち無我になったときに押し寄せてきます。無我とは歓喜、平和、安堵そのものです。今何かしらの仕事に就いているならばその仕事に全力集中します、その瞬間に成功が押し寄せてきます。集中、無心、無我に入り込めたら恐ろしい成功感が押し寄せてくるのです。

集中できないことは最初からやらない

人間としてこの世に降り立った以上、集中できない仕事、できる仕事があります。もしも今携わっている仕事が集中できない仕事ならばいっそ辞めてしまった方がいいかもしれません。集中できるならばチャンスです、集中し無心になり無我になれればその場で成功者になります。成功とは歓喜、安堵、平和に包まれることですが実はそれはこの場でなれるのです。真の成功とは条件に縛られることはありません。条件が揃わなければ成り立たないような成功は真の成功ではないからです。