仕事

人間に成り切った神はある時神に戻る方法を忘れた

遠山の金さんを演じた松平健が日常生活も金さんから戻れなくなった

遠山の金さんを真剣に演じすぎた松平健は日常生活でも金さんが抜けません。何か問題を発見するウズウズしてきます。俺に問題を投げてこい、なんでも解決してやる。全てこの感じです。世界中の問題を俺に振ってこい、俺様が全部解決する、、、そこにはもう松平健は存在しないも同じです。この現実世界は神が作った夢の中で神が人間に成り切って演技しているドラマです。神は人間に完璧に成り切りすっかり自身が神だったことを忘れ人間に成り切っています。そして神になる方法を忘れました。

神になることを忘れた神は仕方なく人間を続ける

神に戻ることを忘れすっかり人間活動に専念する神は途中から神に戻る方法を忘れてしまいました。神社に行ってまさかの神頼みをするレベルです。そして私には〇〇神が付いていて守ってくれていると固く信じるとこまでいく神もいます。神にもどる方法を完全に忘れてしまった神はこれは参った、、この地獄(人間活動)が死ぬまで続くのかと呆然となるのです。人間活動は面倒な近所付き合い、親戚関係、会社の出世競争、自治会への強制参加などとにかく忙しいわけです。

もう人間なんかしない絶対

神にもどる方法を忘れ、自身が神であることも忘れ、人間活動を続ける神はこの人生にほとほと疲れ果てていきます。何をやっても大した結果はでず、何か成し遂げてもすぐに飽きてしまう、車を買っても2年後には飽きるし、苦労して就いた仕事も徐々に飽きてくる、、一体どこに永遠の幸福があるのか?そのような絶望を日々感じるようになった時に人(神)は神に強烈な興味を持つようになります。神仏への興味、スピリチュアルの興味などです。得体の知れないこの関心はどこから来るのか?それは自身が神であったことを徐々に思い出していく準備機関です。

人間のふりをしている神がそのことを忘れる瞬間

人間に成り切っている神がそのことをウッカリ忘れる

これは夢です。神が見る夢です。神は自身が人間に成り切ってこの夢をスタートします。人間であると世紀の勘違いをすることでこの夢は始まります。知識をつけて思考を回し、吾輩は人間であると信じ込むことで人間に成り切ってこの人間物語をスタートするのです。神が人間であると信じ込むためには人間であると意識し続ける必要があるのですが、、、何かに没頭する時、何かに真剣に向き合う時、何かに無心になって取り組む時、意識が外れます、人間であるという意識が崩壊します。すると神は人間から神に戻ります。

サーフィン、スノボ、スケート、、横乗り系のスポーツは熱狂的信者が多い

サーフィン、スノボ、スケート、、、横乗り系のスポーツは熱狂的信者が多いのには理由があります。あれらのスポーツの特徴は難しいことにあります。あえて不安定な板に乗ってスポーツします。自由な足を封印することでこのスポーツは難易度を上げています。すると全神経を集中できます、全神経、全意識を板に集中することでスポーツが成り立ちます。その瞬間自身は人間であるという意識が抜け落ちます、全意識が波、山、パークに向くのです。人間のふりをした神が一瞬神に戻ります、その瞬間人間が抜け落ちます。この感覚を味わうために多くの人が熱狂的になります。

もしもこの感覚を仕事に応用できたら

達人、偉人、人間国宝と呼ばれるような人々はこれを仕事に応用した人たちです。全意識を仕事に向けることで自身が人間であったことを忘れています。人間が抜け落ち神だけがそこに残ります。神が神が作った夢の中で自由に表現をしているのです。時間、空間という制限が取り払われ神そのものをただ表現する神になります。

お酒を飲んでいる時は夢から覚めている

一般的イメージとは真逆

これは夢です、ワンネスが見る夢です。この夢の中で、、お酒を楽しそうに飲んでいる人は夢を見ているかのようなイメージ、現実逃避しているイメージ見えます。ですが実際は逆なのです、実はお酒を飲んでいる人はその瞬間だけこの夢から覚めた状態なのです。お酒を飲むと思考が緩やかになります、お酒を飲むと緊張感が緩みます、自我を構築するこの思考が根本的に緩むのです。結果夢物語への没入が緩みます。つまりワンネスがワンネスに戻っているのです、その瞬間は。お酒を楽しく友人と飲むと時間を忘れます、実はこの瞬間だけワンネスに戻り時間を超越したのです。時間の外に出たのです。この心身こそは自分だという思考(自我)が緩み没中、洗脳が解けたのです、一時的に。

仕事帰りの一杯はワンネスに戻るひと時

夢に没入している代表格は仕事です。仕事中は思考全開、思考フルマックスになりやすいもの、他者との複雑な人間関係は思考を活性化します。この状態は疲れます、夢の中に入り込めばこむほどに不足感が湧き出てくるからです。そんな仕事の帰り道に一杯お酒を飲んで帰る、これはワンネスへの一時的帰還なのです。なぜ体に毒を入れて幸福感が湧くのか?体に毒を入れてでもワンネスに戻りたいという衝動です。次の日に体調が悪くなってでもワンネスに帰還したいのです。

このメカニズムを理解することが重要

お酒の良否は横に置いておいてなぜ人がお酒で幸福感を得るかを知ることが大変重要です。人間からワンネスに戻るということがいかに幸福になれることなのかの証明です。太古の昔からお酒、タバコ、、、などの嗜好品と呼ばれるものが無くなることがないのは人間という存在が苦しいことの証明、そこから抜け出せるアイテムは常に必要とされます。

世界的遺品などは無我になって制作されたもの

人間が人間のままで作ったものではない

世界的有名作品、ゴッホやピカソ、モーツァルトやベートーベン、彼らの作品が100年以上経っても評価が下がらない理由、それは人間が人間のままで作った作品ではないからです。ここは夢です。この夢の中で人間という形で作られた人間作品は思考、自我が作ったものです。私は人間であるという思考に支えられた作品は人間の制作物です。ですが多くの人に感動を起こす作品とは人間が作ったものではない、つまり自我ではなく無我が作ったもの。思考が抜け落ち自我も抜け落ち無思考の状態、無我の状態で作られたものはそのまま神の表現です。リアルな神、ワンネスの表現になります。そこに人間が介在していません。

人間とはこの心身こそが自分と思い込む思考のこと

これは夢です。ワンネスが見る夢です、この夢の中に独立した人間は存在しません。あんたが見る夢の中に独立した存在がいないように全てはそう見えるだけの表現です。この夢の中でもこれは同じで人間という独立した存在はいないのです、ですがこの心身こそは私という人間だという思考は存在します。つまり人間とは思考のことなのです。この思考がフルマックス、前回の時、この夢の中では人間が活動をしています。ですが火事場の糞力ではないですが思考が抜け落ちた時などは人間はそこには存在せず神、ワンネスの表現だけになります。

人間がいなくなるのではない、元々いなかった

夢の中に人間という特別な存在などいるはずがありません。元々いなかったのです、そこにこの心身こそが自分だ(自我)という思考が出現しました。この出現により初めて独立した人間(私)が誕生したのです。元々居ないのですからこれを無くすのは簡単、思考(自我)が抜け落ちる状況を作ればいいのです。例えば火事場、例えば事故現場、ポジティブには作業への集中、所作の集中、仕事への集中、などです。ピカソ、ゴッホ、モーツァルトなど偉人と呼ばれる人々はこれに気づき実践した者達です。ですから彼らは実際には人間ではありません。人間という後付けを削ぎ落としたワンネス、大いなる一つです。

自我の完成は強烈なストレス生活の完成

自我が完成しストレスフルマックス

これは夢です、ワンネス(気づきの存在)が見る夢です。この夢を夢たらしむ存在、夢にとって絶対的に必要な存在、それが自我です。自分(自らを分ける)とは全体からの分離のことでありそれを維持するシステムこそ自我です。自我がなければこの夢物語は維持できません。自我が崩壊すればこの夢から覚めます。自我は幼少期、思春期、社会人、成人と、、、社会的役割が増えていくに従い強化されていきます。自我の完成とはストレス生活の完成なのです。本来は広大無辺である存在がこんな小さな体に閉じ込められ思考すらもその中に存在すると勘違いすることで不足感、欠乏感、孤独感を生み出すストレス発生装置なのです。

会社に行けば思考を使わなくていい

なぜ学校に行き、なぜ会社にいくのか?人間がなぜ起きている時間のほとんどを何処かに所属しそこで言われた仕事を、勉強内容をこなすことに費やすのか?それはそのほうが思考を使わなくていいからです。思考を使えば苦しくなります、そのため思考を使わなくてもいい環境に身に置くことを自然と覚えます。その究極の場所が会社です。朝から晩まで基本的にやることは決められていていかにそれを正確にこなすかを求められます。分業制になっていて其々が得意な業務に専念できる場合もあります。そういう意味では会社は人間のストレスを軽減してくれる場所とも言えます。

思考の暴走を自身で抑えることが出来たら

人間は考えれば考えるほどに自我が強化され先ほどの理論で苦しくなっていきます。思考フルマックス=ストレスフルマックスです。思考フルマックス=自我全開=夢没入=無我消滅=ストレスフルマックスです。思考の暴走がこの夢物語での快適不快を決めるのです、だとしたらいかに思考を止めるかです。何かに没入することでこの思考は止められますから基本人間の行動をルーティン化していきます。考える必要性をなくしていき決まったルーティンの軸を作っていきます。茶道、書道、剣道のように決まったことをルーティンでこなしていきます。反復することで何かを成し遂げていきます。すると無思考、無心、無我の感覚に自然と入れるようになっていきます。無思考、無心、無我とは大いなる一つ、ワンネスの状態、つまりこの夢から覚めた状態です。

一生忘れられないような嫌味を言われても、、

夢の中での発言を気にするのはおかしい

これは夢です。ワンネス、大いなる一つが見る夢です。この夢の中であなた(主人公)が他人(脇役)から一生忘れられないほどの嫌味、悪口、暴言を言われてしまったとしてもそれも夢の中での出来事です。そうしたのはワンネスです。脇役(他人)に何の自由意志もありません。だからこそムキになって言い返す必要はないのです、もちろん思いっきり言い返してもいいのです。ですがどちらも夢の中での出来事です。半沢直樹よろしく三倍返しにしても大丈夫です、ですがそれも夢です。

命を狙われたら

何かとんでもないトラブルに巻き込まれて命を狙われてしまったら、、、迷わず警察に通報してください、、、夢ですがやっぱり痛い思いはしたくないですよね。夢ですが痛覚はガンガンにあります。刺されたら強烈に痛いです。夢ですが。五感は全開です。夢ですが飲み屋で人に絡めば普通に殴られます、、、そして痛いです。夢ですが路上で猥褻行為をすれば普通に捕まります。そして普通に留置所に入れられます。

夢ではあるが、、五感全開

これは夢です、、夢だからといって全く寝ないで仕事したり、、長距離を無理して歩いたり、、三日間食事をしないなど無理をすれば普通に疲弊します。この夢はスーパーリアリティーショウ。五感全開です。自ら不快なことをする必要はないのです。

「自分は特別な気がする」は当たり前

特別も何もこの夢の主人公

あなたはこの夢の主人公です。この夢、ワンネスが見ているこの夢の主人公があなたです。ですからあなたが見ているこの現実、視界に広がる現象界においてあなた以上の存在はありません。あなた以外は脇役、チョイ役、いても主要キャラぐらいのものです。だからこそ自分こそ特別、自分だけは何か違うと感じるのは当たり前です。全員平等、全員が特別、人を比較してはいけない、、綺麗事は色々ありますが自分(主人公)以外は全て夢の登場人物に過ぎません。

主人公すらも夢の登場人物に過ぎない

この映画、夢はあなたの視界とセットで広がっています。あなたの聴覚とセットで広がっています。あなた目線、あなた五感で広がっています。ですから他の登場人物とあなたが同価値であろうはずがありません。あなたがいなければ他の登場人物は存在できないのです。だからこそ他の登場人物から何か誹謗中傷を受けても気にする必要はありません、所詮は脇役の主役への嫉妬です。あなた無しでは存在できない脇役の戯言など気にするほどの価値はないのです。ただしあなた(主役)すらもこの夢の登場人物でしかないことも事実です。

あなたを認識しているのがワンネス

今もこのブログを書きていると意識している存在がいます、私がこのブログを書きている、それを認識する、気付いている存在が間違いなくいます。食事をしても、仕事をしている時も、会話をしている時もそれを見ている、気づいている存在、それがワンネスです。この夢を見ている張本人です。この夢の主人公であり脇役であり、全てを認識する存在です。

セックス中毒は思考抜け落とし中毒

セックスは思考から体に意識を強制シフトさせるツール

これは夢です。ワンネスが見る夢です、そしてその夢の中に埋没すると不足感、欠乏感が湧き出してきます。セックス中毒という言葉を聞いたことはあるでしょうか。これは男性女性問わず実はたくさんいます。一般的にはsexをすると幸福ホルモンが分泌されて一時的に至福感に至れるということになりますが悟りの観点からも説明がつきます。セックスは体を使った行為です、セックス中に考えことをするってなかなかできません、明日の予定や来月の予定、仕事のブレスト、、できません。思考を強制的に止めてくれる動きなのです。思考が全く止まらなくなってしまった人間の強制思考停止ツールなのです。そして体に意識を完全集中することで何が起きるか?無心が起きます、無思考が起きます、無感情が起きます、無我が起きます、、するとこれは夢から覚めた状態、ワンネスの状態、大いなる一つの状態に至るのです。これによって多くのストレスを抱えた社会人や悩み多き学生、一日中考え事をしている主婦などがハマるのです。

セックスが悪いのではない

セックス=悪のようなイメージを持つ人もいますがそんなわけがありません。ですがセックス中毒になってそのままそこから抜け出れないのは不健全と言わざるをえません。というのは全く自由が無くなってしまうからです、そこから抜け出せない状態は。あらゆるリスクも厭わないようになる可能性もあります。多くの場合はセックス中毒は不倫や浮気、セクハラ、暴漢など、、次のリスクに切り替わっていきます。

セックスから体の感覚の重要性を思い出す

体に意識を向けますと歓喜、至福、安堵が押し寄せてきます。思考が抜け落ち、無思考、無心、無我に至るのです。だからこそ悩みやすい思春期は部活動が設定されています。体に感覚を戻すことを国単位で行っているのです。セックスから至福を思い出したらそれに溺れるのではなく体の感覚に戻すルーティンを作るのです。ヨガ、スポーツ、登山、マラソン、、積極的に無我に入る方法を探ります。

仕事中毒の解説

仕事も中毒になる

常に孤独感、欠乏感、不足感が湧き出てくるこの人間という生き物は仕事すらも中毒化してこの感情を感じないように努めます。少なくとも仕事をしている間はこの不足感、欠乏感、孤独感を感じずにいられるからです。ですがこれらの感情から逃げるための仕事は大変疲れるために結局違う苦しみになって取って代わるだけです。体力を消耗し、思考を消耗し疲れ果てていきます。仕事をしていないと不安になるのはただ不足感、欠乏感を感じないように逃げているだけなのです。

仕事に集中し切ることでそこから悟りに入る

仕事に集中し無我の状態に至りますと、即歓喜、安心、安堵に至ります。仕事に入り込むことで安堵、歓喜、安心を体験できるのです。そうなりますと人はいつでもどこでも平和、安心、安堵に至れることを学習し仕事以外にも興味を覚えますし、スポーツ、エンタメ、あらゆるところから悟りに入るコツを掴むのです。集中している時は歓喜、安心、安堵そのものになれるのです。ですからもう仕事中毒にはなりません。

仕事中毒と集中は全く違う

中毒と集中は似ているようで全く違います。中毒はただの逃避であり集中は思考を削ぎ落とし歓喜、平和、安堵そのものになる行為です。中毒である逃避は一時的なごまかしを延々と続ける行為です。中毒行為に至る人はやればやるほどに疲れ果てていき、集中に専念する人は元気そのものです。なぜならば無我とは元気そのものだからです。

勉強も運動も仕事も全部楽しめてしまう人

集中すればなんでも楽しい

集中すればなんでも面白くなってしまうのがこの夢の仕掛けです。人間が思考している時、それは人間になり切っている気づきの意識の状態です。この状態は苦しみが湧き出てきます。人間になり切っているからです。ですが完全集中して思考が抜け落ちている時、これが自分自身であるという思考も抜け落ちていますから気づきの意識そのもの体験だけがある状態です。この状態は安堵、歓喜、平和そのものです。ですから物事を始める時は簡単思考が抜け落ちるまで集中できることをすればいいのです。夢としての人間は完璧ではないので雑念が湧いてくることはやらないことです。集中できればなんでも楽しい、集中するように1日を組み立てていく、これがポイントです。

have toで物事に取り組むと集中できない

これもあれもやらなくては、、タスクを決めて処理をしていくと人生は苦しくなります。思考がぐるぐる回転します。そうではなく集中できることだけで人生を構築していきます。どうやったら集中できるかに専念します。集中さえできていれば思考が抜け落ち、歓喜、平和、安堵がそのまま湧いてきます。湧いてくるという表現は間違いで歓喜、平和になってしまいます。

飽きたら即切り替え

集中できているかが全てです。集中できなくなったら即切り替え、他のことに替えます。集中できていないも関わらずダラダラと継続すれば思考がぐるぐると湧いてきます。するとこの心身こそが自分自身であるという思考も湧くので途端に苦しくなるのです。思考が湧いてきたら苦しくなるというここを理解できるかです。思考とは集中と集中の切り替え時ぐらいに使えばいいのであって基本は使いません。もしも湧いてきたらその思考を観察します、これは気づきの意識への強制シフトです。