お金

やる気がなかなか起きなくて、、、

そうです、やる気は作るのではなく、、全体から起きるのです

やる気さえ起きれば、、やる気が起きなくて引退します、、あの時やる気さえ起きれば、、、本当に面白いのですが、、みなさん事実をよく知っています、、やる気というのは作れるものではなく、、起きるものなのです。やる気を昨日しこたま作りました、、聞いたことがありません。一年中のやる気を昨晩徹夜で作っときました、、聞いたことがありません。やる気は作り置きができません。ただ起きるのです、、、起きるのですから起きるのを待つしか、、、個人(蜃気楼)にはできないのです。

あいつはやる気があって素晴らしい

社長はやる気がある部下を評価します、ですがそのあいつは、、、自分でやる気を作っていないのです、、ただあいつを通じてやる気が起こったのです、、これは事故です。そのあいつが、、、ふと衝動が起きてしまい、、会社のお金を盗んでしまった、、、そうです、衝動が起きたのです、あいつから、、、あいつはあんなにやる気がある奴だったのに、、、あんな酷いことをしやがって、、違います、あいつを通じて全体から衝動が起きただけ、、やる気も全体から起き、横領も全体から起きました。やる気も衝動も自分では作れないのです。

では採用試験は無意味なのか???

違います、、採用試験、面接とはやる気が起きそうな人間(蜃気楼)を見定める場所なのです。その人間(蜃気楼)からやる気が起きそうか否かを判断する場所なのです。東大生が結局真面目で優秀なのは、、、その人間からやる気が起きる可能性が高いということです。もしもその東大生(蜃気楼)が入社してみたら全然やる気が起きないようだったら、、、それはたまたまそういうタイミングだったということです。もしもその東大生に会社を辞めてもらう場合は「君はたまたま今やる気が全体から起きないようだから、、辞めてもらってもいいでしょうか?」になります。

自分が居なければ苦しむことはできない

なぜ野生動物は苦しむことができないのか???

野生動物は孤独感、悲壮感、怒り、苦しみを感じることができません、彼らはそれらの感情思考を感じる術がないのです。なぜか???自分という自我が芽生えていないからです、自分が居るという思考が湧いていないからです。これがないとなぜ喜怒哀楽が湧かないのか??それは攻撃されても罵られても個人というアイデアがなければ反応できないのです。何かを盗まれた時に自分のお金という思考がなければ怒ることができません。ただお金が無くなったでは怒りが湧きようがないのです。

人間の脳は進化し自分を作り上げた

人間の脳は進化し野生動物とは全く別次元の活動を始めました。それが思考活動です、この思考活動が自我を形成し自分の餌、自分の土地、自分の獲物、自分の寝床、自分の領地、自分の縄張りを強化していったのです。これは自己生存保存能力最大の強化になりました、、ところがこの自己は、、、他者からの侵略に対して過剰に反応します、、これが全苦しみの元です。自己保存能力強化と引き換えに苦しみを作り上げたのです。

この事実をただ認識する

この事実を認識しますと、、、怒り、むかつき、悲しみ、孤独が湧いてこなくなります。なぜならばこの感情、思考は自己強化戦略の副作用に過ぎないからです。本当は自分など存在しない、戦略上作り上げた方が良かっただけ、だからこそこの喜怒哀楽の感情に振り回される必要がないのです。戦略的に自己を作り上げ結果人間という種族はこの地球上で繁栄した、だがこの自己は他者からの侵略(攻撃、批判、中傷誹謗)に過剰に反応する、、結果人生が苦しくなるというメカニズムです。

大借金を抱えた友人の対処法

先ず友人の中に友人は居ない

大前提として目の前に居る友人Bの中にBは実在しません。80億人の人類の中からこれを発見した人は誰もいません、なぜならば居ないからです。その上でこの話を進めなくてなりません、大借金をしたからお金を貸して欲しいという言葉がでても先ずは借金をしたBは居ないということです。その上で、、、なぜ借金をしたかの説明が2時間あったとしましょう。その話の内容は100パーセント事実ではありません、なぜならばあなたの目の前でそれが繰り広げられていないからです。確認が取れていない話は全部本当は起こっていないのです。

その上でどうするか???

もしもあなたの中からお金を貸してあげたいが湧くかもしれませんし、湧かないかもしれません。深刻に捉えることが難しいですから、、何もアクションが起きないかもしれません。それはあなたにも分からないのです。その話を聞いてあなたの中からどんな行動が湧くか、、これが誰にも分からないということになります。そしてどのような思考が湧いたとしてもそれと行動とはまるで関係がありません。これが事実です。

先のことなど誰も分かりません

全ては根源の現れですから、、、友人Bが今後どうなるかを分かる人は誰もいません。そしてその話を聴いた「あなた」の中からどんな思考、どんな行動が起きるかも誰も分かりません。大切なことは何が起きようとそれを深刻に捉える必要がないということです。誰にも何もコントロールができないのですから。深刻になることができるのは「自分」も「友人B」もコントロールできると信じているからです、信じるが起きているからです。答えは簡単川の流れのようにただ事実が起き続けていきます。

京都に飛べば世界遺産が目の前に広がる

完璧とは「自分」にとって完璧なのではない

京都に今日旅行に行けば駅に降り立って直ぐに世界遺産が自分の前に広がります。ニューヨークに今日飛べば目の前に高層ビル群が広がります。もしもこれが映画だったら大変とんでもないお金を使って撮影場所を設置しなくてはなりません。この世界が凄いのは一瞬で目の前にパリ、ロンドン、世界遺産、大自然が広がることです。私にはパリに見えるが友人にはロンドンが写るということは絶対にありません。もしもこれが映画ならばこんな凄まじい映画はないのです。

自分にとっての完璧とは

自分にとっての完璧とは、、、一億円を広い、大好きな車を購入でき、大好きな彼女ができて、大好きなマンションに住み、大好きな仕事の恵まれ、大好きな友人に恵まれ、大好きな趣味に恵まれることでしょう。ですがこの完璧さは一瞬で飽きがきて完璧ではなくなってしまいます。もっともっとが一生続くのです。それはなぜか?自分という存在がこの世界に誕生してしまったが最後、思考の世界(空想)に入り込んでしまいそこは喜怒哀楽を味わえる完璧な世界、至福が存在しない場所なのです。至福(根源)とは私というラベルが剥げ落ち根源だけが広がる場所です。自分が居る(思考)を前提に生きれば思考の世界に迷い込みます。

自分が居なくたって完璧

これまでの人生とはこの「自分」を幸せにするための人生でした、ところがこの人生はどこまでいってもお腹が空く、幸福になれない、、、なぜならばこの「自分が居る」こそが空想だからです。事実はこの体の中には「自分」が居ません。居ない存在の自分を幸福にするなど不可能だからです。だから高級マンション、高級車を自分に与えても幸福にならないのです。これが答えです。自分なんて居なかった、、、これに気づいた時目の前に完璧な現実が横たわります。

それでも毎日が続く

根源からの現れだけがある

ファミリーレストランの椅子に座って店内を見渡してみてください、本当に面白いぐらいの感覚で新しいお客さんが現れそして消えていきます。1時間に集中して全お客さんが来るのではなく本当にバランスよく開店から閉店まで訪れます、これが脳内映像だとしたらなんと完璧な配列、タイミングでしょう。そしてこれが毎日続くのです、いや毎日ではなく一年、二年と続くのです。この脳内映像が凄すぎるのです。1日0人だった、ということがない。ある日だけに集中して100倍来ることもない、、当たり前だと思っていますがこの現象こそが完璧なのです。

脳内映像だと思うと完璧過ぎて非の打ちどころがない

車は一定の割合で目の前を通り過ぎていきます、1分間でまとめて車が通ることはない、そして雨も1分間でまとめて降ることもない、大便一年分が1日で出ることもない、、、完璧なタイミング、完璧な配分で全事象が起こり続けるのです。この脳内映像が凄すぎるのです。根源からの現れだからこそ何のミスもなく完璧なのです。そこに自分という存在を打ち込むことで自分にとって損得で事象を判断します。これでこの完璧な脳内映像は完璧ではなくなるのです。

起こっているだけで感動できれば

収入が増えたから幸せ、宝くじに当たったから幸せ、結婚できたから幸せ、、全部嘘です。収入が増えたのは自分、宝くじに当たったは自分、結婚したのは自分ですから、、そこに自分が鎮座している限り空想の中に住んでいます。自分とはどこまでいって思考のことです。思考でできた自分がお金を得てもそれは事実ではありません、お金を手に入れた自分という存在はどこを探しても居ないのです。宝くじに当たった自分はどこに居るのか、結婚した自分はどこに居るのか、、居ないのです。だから幸福になるわけがないのです。

プールで泳いでいたらいつの間にか海にいた

この脳内映像は完璧過ぎる

スーパーマリオなど三十年前のゲームは詰めが甘く至る所で完成度が低い、穴に落ちて死ぬはずが落ちても死なない、、クッパが同じ動きしかできない、、画面端ではマリオが映らなくなる、、などなどあってはいけないミスが多いのです。ところがこの自分ゲームではそんなミスは一切起きない、、、友人Aと遊んでいたらいつの間にかBに変わっていた、、、プールで遊んでいたら海になっていた、、山を登っていたら家に戻っていた、、こういったミスが起きないのです。この完成度の高さこそがこのゲームの醍醐味、感動です。

当たり前過ぎて誰も感動していない

このゲームの完成度は高過ぎて誰もそれに感動ができなくなっている、これが人間が不幸になるポイントです。それゆえ目標や夢を追い求め刺激から幸福になろうとするのです、ですがこれは邪道、見当違いです。ゲームの完成度に浸ることこそがこのゲーム最大の至福なのです。お金持ちになったらちゃんとタワマンに住める、貧乏になったらちゃんと取り立て屋が来る、、、この寸分狂わないゲームの完成度こそが醍醐味なのです。しかもこの映像は全て感知する体抜きには成り立たないのです。

五感が無ければこのゲームは消滅する

あなたの五感が無ければポルシェの色は消滅します、あなたの嗅覚が無ければ松茸の香りはこの世から消滅します、あなたの触覚が無ければこの世から高級皮のソファーの手触りは消滅します。五感がこの世界を作り出しているのであって体験そのものはどこにも落ちていないのです。全ての体験を作り出すこの五感こそが素晴らしいのであってポルシェの乗り心地も、高級ワインの味も、高級ソファーの手触りも全て人間の五感に依存しているのです。

こうなったらワクワクは思考の策略

大金持ちになったらワクワク

結果を期待してのワクワクは嘘のワクワクです。実際にそのような状況になるかは分かりませんし、そのような目的での行動では全体との調和が起こりません。例えば10億円を得れるからと10年間絶対にやりたくない仕事を我慢してやろうということになったとします。10年後のワクワクを期待するわけです。。。すると毎日が不調和な日々に襲われます、毎日毎瞬ごとに不調和が起こります。感情が湧き出し、思考が湧き出し、、自我が強化され全体との分離が進みます。恐ろしい不快感を感じながら10年間を過ごすようになります。

10年後のことを考えて何とか心を落ち着かす

10年後には10億円、これを考え続けることでなんとか精神状態を維持しようとしますがこれすらも思考です。思考が湧けば湧くほどに自我が強化されて全体との分離が進み全体との不調和が起きます。もしかしたら10億円を手に入れることができるかもしれませんが10年後には体は病み、人間関係は破綻し、家族も失いと、、、とんでもない状況が待っているかもです。

10億円手に入れたとて

10年間の忍耐の結果10億円を手に入れたとしましょう、、、、散財に散財をして豪華絢爛な生活をできたとしましょう。。。これで本当に心が晴れると思いますか???この豪華絢爛な生活は全部お金の力であって本人の力ではありません。どこまで行っても自信がつきません。これによって本当の人間関係が築けれることはありません。さらに、生活に飽きてきたときにそれを解消するにはまたお金が必要になります。そこでまたお金を使う生活をすればいくらお金があっても足りないのです。

最初からワクワクにいく

最初からワクワクすることをします。最初からワクワクすることを行います、見返り結果を一切期待することなく。これによって最初から全体との調和を味わうことができます、最初から平和、安堵の世界に入り込みます。自分が求めていたことがここだったという気づきが起こります。これさえしていれば最初から幸福だったんだという気づきが起こります。良い人生を送るって最初からできるのだという気づきです。結果を期待することで不調和が起き苦しかったという気づきが起こります。

思考は真理を見つけることはできない

思考こそが真理を隠す

これはもう本当にギャグです、何か苦しいことがあった時に思考が必ず湧いてきてこの問題を解決しようとします。これはもう自動反応として起こります、何も問題はありません。ですが多くの方がなぜ苦しんでいるかと言えば真理から離れた人生を生きているからです。それが苦しみを生み出します、そして真理から遠ざけるメソッドこそが思考なのです。これが自分自身であるという思考こそが自分を全体から切り離し、あらゆる単語を記憶することでこの幻想の世界を成立させています。その思考が苦しい時に湧いてきて、、、今回の問題はこうではないか??と囁くのです。借金を作り出す金融業者が借金返済のためにお金をさらに借りて事業をしたらどうか??と嘯く感覚と同じです。

思考が苦しみを生み出し、思考がそれを解決する

思考とはリボ払いを勧めるカード会社と全く同じです。リボ払いを勧めておいて実は返せなくなことを画策しています。思考もこれと全く同じ、思考こそがこの苦しみを湧き出す根源であるにも関わらず苦しい時は必ず出てきて思考を使ってこれを解決しようと呟きます。とんでもないメカニズム、闇金融業者、詐欺師です。ですがこの経験を願っていたのが全体です、全体の確信犯的な思考しようということです。そういう意味では思考は何も悪くないのです。

思考は闇金業者

闇金業者というのは実は借金を全体に返済させません。借金を返済させてしまったら利子を取れなくなります。そこで闇金業者は借金を意図的に返金させないようにして利子を延々と取り続けるということを平気でします。思考もこれと全く同じでこの体を自分であるという認識を思考で作っておいて苦しめ、その解決方法を思考で行おうとします。これによって自分=思考という隠密関係を絶対に壊さないようにするのです。自分に根本解決をさせない、、どこまでもしゃぶり尽くす、、これが思考の罠、闇金業者の罠です。

私たちが使っている言語はプログラム言語

脳がOSで言語がプログラム、見ている世界が画面

人間は言語を何の気なしに使いこなしていますがこれは実はプログラム言語です。覚えた言語によって実は見える世界が完全に書き換えられていきます。なぜならば我々が見ている世界は脳内で見ていますから言語の介入なしに見ることは絶対にできないのです。価値観というのは実はプログラム言語の集積のことであり見える世界を完璧に書き換えます。そして我々が脳が作りだした視界の中を立体映像として動き回るのです。それによって距離が生まれ、時間も誕生しますが、、、脳内の映像の中を動いているのですから本当は距離などあるはずがないのです。ということは時間もありません。

カラクリが見えてきた

我々が見ている世界は脳内の画像です、そしてその画像は思考、価値観がプログラム化されて完全に書き換えられていきます。本当の事実を我々は見ているのではなく脳内でプログラム言語が構築した世界を見ています。だからこそ新しい経験をすると全く違う世界が広がるのです。臨死体験をすると生に対する認識が変わります、大病をすると体に対する認識が変わります。大金を失うとお金に対する認識が変わります。認識が変わるということは見える世界が書き換えられているのです。

私が居るというプログラム言語が「自分」を作り出した

生まれてきてから7年近くの歳月をかけて「名前」を呼ばれ続け先ずはこの自分が居るというプログラムが構築されました。これによって「自分」と「自分以外」がこの世界を構築します。次々に名前を覚えていくことで名前がつけられた生命現象が分離化していきます。これによって「自分」が見る世界に特定の物や特定の人がたくさん登場するようになるのです。人生ドラマがスタートします。

神は人間に化け、モノに化け、自然物に化け、、、

覚者はこの事実に気づいた

悟った覚者が話す言葉には多くの共通点があります。その一つがこの世は幻想であるという言葉、、ですが同時に違う覚者はこうもいいます、これしかない、、、なんのこっちゃです。この世は幻想なのにこれしかない???意味不明です。幻想にも関わらずこれしかないならば何もない、、になります。事実はこうです、、我々人間がみている世界は神が何かに化けた世界なのです、自分に化け、友人に化け、机に化け、コーヒーに化け、お金に化け、、、、全て神の化身ということです。化身ですからそこには実態がなく全て幻想ということですね。ですがその化身であるいう事実を見破った時に、、、ここに神が居るということになります。これしかないです。

絶対絶命の時にこれを見破っている

バンジージャンプをやった人ならわかると思います、、、終わった後に恐ろしい安堵感、歓喜、平和が襲ってくることを、、あれは何か????意味不明ですね、、、なぜバンジー後に平和が襲ってくるのか???バンジー中に思考が完全に抜け落ち、五感全開になり、、、今に強烈にある状態に、、、、それこそが非二元、神、無我です。その残滓が残っているため平和、歓喜、安堵に浸れるのです。だから多くの方はあの感動を求めて何度もバンジージャンプをやりに行くのです。なぜ30メートルも落ちて平和に襲われるのか????意味不明ですよね、意味完璧なのです。

思考が抜けたら平和安堵ならば、、、思考を放置せよ

思考が抜けると、、、平和、安堵、歓喜に襲われるならば、、、思考を放置すればいい、、、思考こそが苦しみの世界、幻想の世界に意識を導く道具ですからそこに乗ってはいけません。何もバンジージャンプをやる必要はないのです。思考が湧いたらそのまま放置です。山に籠もって修行などしなくても日々思考の湧き出しに意識的になり放置すればいいのです。毎日をバンジー後のように生きることができます。そこが無心、無我、非二元の世界の入り口です。