プールで泳いでいたらいつの間にか海にいた

この脳内映像は完璧過ぎる

スーパーマリオなど三十年前のゲームは詰めが甘く至る所で完成度が低い、穴に落ちて死ぬはずが落ちても死なない、、クッパが同じ動きしかできない、、画面端ではマリオが映らなくなる、、などなどあってはいけないミスが多いのです。ところがこの自分ゲームではそんなミスは一切起きない、、、友人Aと遊んでいたらいつの間にかBに変わっていた、、、プールで遊んでいたら海になっていた、、山を登っていたら家に戻っていた、、こういったミスが起きないのです。この完成度の高さこそがこのゲームの醍醐味、感動です。

当たり前過ぎて誰も感動していない

このゲームの完成度は高過ぎて誰もそれに感動ができなくなっている、これが人間が不幸になるポイントです。それゆえ目標や夢を追い求め刺激から幸福になろうとするのです、ですがこれは邪道、見当違いです。ゲームの完成度に浸ることこそがこのゲーム最大の至福なのです。お金持ちになったらちゃんとタワマンに住める、貧乏になったらちゃんと取り立て屋が来る、、、この寸分狂わないゲームの完成度こそが醍醐味なのです。しかもこの映像は全て感知する体抜きには成り立たないのです。

五感が無ければこのゲームは消滅する

あなたの五感が無ければポルシェの色は消滅します、あなたの嗅覚が無ければ松茸の香りはこの世から消滅します、あなたの触覚が無ければこの世から高級皮のソファーの手触りは消滅します。五感がこの世界を作り出しているのであって体験そのものはどこにも落ちていないのです。全ての体験を作り出すこの五感こそが素晴らしいのであってポルシェの乗り心地も、高級ワインの味も、高級ソファーの手触りも全て人間の五感に依存しているのです。

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