京都に飛べば世界遺産が目の前に広がる

完璧とは「自分」にとって完璧なのではない

京都に今日旅行に行けば駅に降り立って直ぐに世界遺産が自分の前に広がります。ニューヨークに今日飛べば目の前に高層ビル群が広がります。もしもこれが映画だったら大変とんでもないお金を使って撮影場所を設置しなくてはなりません。この世界が凄いのは一瞬で目の前にパリ、ロンドン、世界遺産、大自然が広がることです。私にはパリに見えるが友人にはロンドンが写るということは絶対にありません。もしもこれが映画ならばこんな凄まじい映画はないのです。

自分にとっての完璧とは

自分にとっての完璧とは、、、一億円を広い、大好きな車を購入でき、大好きな彼女ができて、大好きなマンションに住み、大好きな仕事の恵まれ、大好きな友人に恵まれ、大好きな趣味に恵まれることでしょう。ですがこの完璧さは一瞬で飽きがきて完璧ではなくなってしまいます。もっともっとが一生続くのです。それはなぜか?自分という存在がこの世界に誕生してしまったが最後、思考の世界(空想)に入り込んでしまいそこは喜怒哀楽を味わえる完璧な世界、至福が存在しない場所なのです。至福(根源)とは私というラベルが剥げ落ち根源だけが広がる場所です。自分が居る(思考)を前提に生きれば思考の世界に迷い込みます。

自分が居なくたって完璧

これまでの人生とはこの「自分」を幸せにするための人生でした、ところがこの人生はどこまでいってもお腹が空く、幸福になれない、、、なぜならばこの「自分が居る」こそが空想だからです。事実はこの体の中には「自分」が居ません。居ない存在の自分を幸福にするなど不可能だからです。だから高級マンション、高級車を自分に与えても幸福にならないのです。これが答えです。自分なんて居なかった、、、これに気づいた時目の前に完璧な現実が横たわります。

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