起こる現象に良否の判断を加え続ける
起こる現象に良否など全くありません、、個人という存在をでっち上げた時に初めてこの個人にとって良いか悪いかの判断が始まるのです。個人という存在をでっち上げたのは誰か、、、自分ではありませんよ、、全体です。全体がこの全体内に個人をでっち上げた現象化させた、想像したのです。。。これによってこの個人にとって良い現象、悪い現象が起きているように見えているのです。ですが本当はただの現象ですから個人にとって良い現象と悪い現象は半々起きますから人生とは不自由、不具合、非完璧なのです。これがカラクリの全てです。
なぜこんな簡単な理論が理解できないのか???
こんな簡単なカラクリ、こんな簡単な理屈がなぜ個人には届かないのでしょうか????そこに意味はありません、、ただ事実だけを説明すれば個人というプログラム、観念は非常に強いということ、、見かけ上の脳の発達はこの見かけ上の体を維持しようと強く働くよう現象化し、、全思考、全行動がこの見かけ上の体を保持するよう連鎖反応するのです。この連鎖反応を止める個人がいませんからこれは長丁場になるのです。
このメッセージは個人にはパニックになる
24時間この個人のために全言動が作動しているにも関わらずこにの体の中に自分が居ないというメッセージがこの体に届けられるとパニックが起きます。裸の大様についに服を着ていないよ、、と発言した子供のような状態になります。。絶対に言っては行けない事実、、この体の中に自分は居なかった、、、ヒョエーです。ですがこの体の中に自分が居るゲームにほとほと疲れはてていた場合、、、このメッセージが届きます。。裸の王様も心の中で安堵が生まれます、、、ようやく服を着れると、、、