悟り

何かを達成した時に訪れる静寂を今感じる

ホッとした、、、

金メダルを取れて今どんな気持ちですか????とってもホッとしてます、、しばらくはゆっくり休みたいです、、、あらゆるプレッシャーから解放されて今はとにかくホッとした気持ちです、、、ヒーローインタビューでこんな会話を聞いたことがある人が多いでしょう、、、、ホッとする、、、これって何が起きているかといえば、、、もうしばらくは何も考えなくていい、、、というホッとしたです、、

最初から考えなくていい

思考することに無防備になっている我々現代人にとって思考しなくていい状況とは、、何かを達成した時だけ、、、この時だけです、、、だから金メダル取得、就職決定、内定決定、卒論合格、、、こんな時しかホッとするのが許されないのです。。。本当にそうでしょうか、、最初から思考しなければいいんじゃないですか???いや思考しなくては目的は達成できませんから、、、違います、、、目的が達成できるかどうかは川の流れ、森羅万象の動き次第、、思考とは全く関係がありません。

つまり我々は最初からホッとしていていい

結果が出るでないが森羅万象の動きならば、、思考は必要ない、、思考に取り込まれる必要もない、、思考を観察する存在のままでいい、、、気づきの意識のままでいい、、、になっていきます、、すると静寂そのもの、、平和そのもの、、歓喜そのもの、、になっていきます、、。その状態でただ淡々と結果だけが起き続けるのです、、これが降参、サレンダー、悟りです。

どのメッセージも思考に取り込まれる

結局思考は全部取り込む

自我の動きか、、こうでああで、、、このようなメッセージすらも思考に取り込まれ思考の渦に巻き込まれていきます、、、あらゆるメッセージは自我、思考の肥やしになり、、、思考を止めるまでには至らない、、、ナイスバドバイス、、こうして思考にそのメッセージは思考として取り込まれる、、、やっぱり思考は大切だよね、、で終わりです。

そんな素晴らしいメッセージ(思考)があるとは、、、

悟りの究極のメッセージすらも自我は素晴らしい思考を有難う、、、とせっせとまた思考に励み、、思考に意識が取り込まれていきます、、、自我はあらゆるメッセージを思考として取り入れ思考に多様性を持たせることに成功します、、するとさらに思考の渦に意識を閉じ込めることができるのです。そんなことよりも思考を観察した方が良いいよ、、このようなメッセージが届けば、、、なぜ???という疑問を投げかけまた問答の世界(思考)に入り込みます。

思考が悪いのは分かった、、、じゃあその根拠について思考しよう

とりとめのない思考こそが苦しみを作っているのは分かった、、じゃあその根拠について徹底的に思考しよう、、こうやって自我は思考に意識が向き続けることをやります、、答えは分かった、、でも根拠がまだまだ曖昧だから根拠が明解になるまで思考しよう、、、こうやって思考と意識の同一化は継続されます。意識は思考を手放すのが怖いのです、、だから新しい習慣、、思考を観察する者になるという習慣になかなかシフトできません。

今この瞬間勝つ

思考に取り込まれない

思考と意識の完全同一化、これが悟りが閉じた状態です。。。思考していることにも気付いていない状態、独り言を言っていることに気付いていない老人と同じ状態です、、、あの状態は意識が思考に焦点が当たり過ぎ、、無意識状態に入っています、、これが苦しい状態です。思考を観察する存在になります、、思考が湧いても気づく存在になるのです。

最初は苦しい

最初は苦しいです、、思考が湧くのが当たり前、思考に取り込まれているのが当たり前過ぎて、、思考と距離を取るのが苦しい、、、気づけば思考に取り込まれ、、、無意識になっています、、、そこを何度も自覚的になります、、、途中で気づく存在を取り戻します。何度もこれを繰り返しますと、、、思考を観察するのが気持ちよくなります、、思考を観察している状態こそが気持ちよくまります、、、静寂に包まれたこの感覚こそが最高に至福になります。これが今この瞬間に在る状態です。

行動の目的が180度変わる

何かしなきゃが湧いてこない、、、この状態にシフトします、、、これまでは何していないと苦しい、、だから何かをする、、、ところが思考観察が慣れてきますと何もしていない状態に親しむことができます、、、ただ静かにここに座り、、思考を観察するだけで心地よい、、、これがデフォルトになるのです、すると何かをしなくては、、という焦りが消えます、、、、するべき時にすればいいに変わります。川の流れのように来るべき時が来れば動くが起きる、、に変わります。

究極のリアリティ

幻想を見抜く

これは幻想です、今目の前に広がる世界は幻想です、、このことを理解できますと、、、、幻想に取り込まれなくなっていきます、、、思考はああだこうだと言ってきますが、、、その思考にも取り込まれなくなっていく、、なぜならば解決すべき問題があまりないのです、、、思考の出る幕が無くなっていくわけです、、、昔はよく考えていた老後の心配、将来の心配、日本の行末、、など、、全く心配する要因にならなくなっていくのです。

幻想を幻想と見抜くと、、、

幻想ならば深刻に捉えるべき問題って実はないんです、、、もしも深刻に捉えて解決しなくてはと考えるとすたらばそれはそういう趣味です、、、深刻に捉えて解決しなくちゃというゲームをやっている感じです、、実際には、、ただ幻想が起きているだけです、、、深刻に捉えなくちゃいけない問題など皆無です。

究極のリアリティを生きる

究極のリアリティとは悟ることです、、、幻想の世界を抜け出し、、非二元、真我を再発見することです、、非二元、真我を再発見することでこれが幻想であることを悟ります、深刻さが抜け落ち、この場が神の遊びの場に変わる、、深刻に深刻に世の中を眺める人々を見ると、、おかしくなる感覚、、、皮肉ではなく、、そんな時もあったなという安堵が込み上げてきます。

悟りが日常会話に登場しない理由

悟りとは自我の完全敗北

悟りという言葉を真剣に議論するなどまず一般社会では起きません、、どこかファンタジー、インドの山奥の話、、みたいな扱いを受け続けてきました、、、悟りについて熱く語り合うなど、、、現実離れの戯言、、、といったノリでしょう。。。。ところが事実は全くの逆、、、悟りとは事実、真実、スーパー現実の話なのです、、、思考との一体化、感情との一体化に成功した自我は、、、悟りを最も遠い場所に置き、、、自我繁栄の邪魔をさせません。

10分間何も考えないでいてください、、、

待合室で看護師さんから、、、10分間何も考えないでその場に居てください、、、、そうお願いされてそれができる人がどれほど居るでしょうか????10分間点滴を打っていてください、、これはできます、、、10分間口を閉じていてください、、これもできます、、、ですが10分間何も考えないでください、、、、これができない、、、、、ここです!!ここがポイント、、、、自我は思考と完全一致し、、思考を止めるなどやったことがないのです。

それだけはできない、、、

思考を止める???そんなこと出来るわけないじゃないですか、、、、思考なんて勝手に湧いてくるわけで、、、どうやったら止まるんですか????そうです、、、止まらないんですよ、、、簡単には、、、どうするか????思考を観察する存在になるのです、、、思考が湧いてきたら、、、湧いてきたことに気づく存在になるのです、、、これを新しい習慣にするのです、、、これを続けます。。。実は簡単なのです、、思考の存在にしっかりと意識的になるのです、、ただこれだけです、、、すると思考と同一化した自我の存在が薄まっていき、、思考が出しゃばらないという状態が出現します。

進学するか就職するか???

若い時期は悩む

進学すべきか、、就職すべきか????悩む。。。若い時期はとにかく悩みます、、、ですが、、、これを決めることができる個人は居ません、、、、全部森羅万象の現れです、、、個人が居るという感覚も森羅万象の現れです、、その個人が自由意志を行使できるという感覚も森羅万象の現れです、、、神羅万象の現れの共通点、、それは化学反応、縁起、因果の世界、、、です。。。反応が反応を起こし続けているだけの世界です。ここを見抜けない期間は「人が悩み続けるという現象」が起き続けます。

この仕組みに気づきの意識、空が気づく

悟りとは、、、気づきの意識の人間への同一化、、、からの同一化していることへの気づきが起き、、、同一化の終焉が起きることです。。。。全体、アイアム、気づきの意識が人間に同一化することでこの人間ゲームを堪能するわけですが、、、、この状態に気づき、、、、全体に戻る、、ことが悟りです。すると人間の動きも、この現実の動きも全部ただ森羅万象の動きであったことに気づき。。。。その中で分離錯覚しているというやはり現象が起きていたことにも気づきます。

なぜもっと早く気付けなかったのか????

違います、、、気づくのは気づきの意識です、、全体、アイアムです、、、人間はただの現象です、、現象が気づくのではありません、、、気づくことができるのは、、気づきの意識だけなのです、、、気づきの意識をコントロールできる存在は存在しません、、、気づきの意識が存在そのものだからです、、、、気づきがお遅い気づきの意識は居ないのです、、、気づきの意識は完璧なタイミングで気付いていきます。

何かを変えられる誰かが居ない

こうした方が良いですよ、、と伝えるべき誰かがいない

悟りのメッセージが難しいのは、、このメッセージを伝えるべき誰かが居ないというメッセージだからです。一般のメッセージは誰かに向かって送られますよね、、ですが悟りのメッセージに関しは伝える相手が居ないのです。なぜか???この世界には分離独立した存在が実は居ないというメッセージこそが悟りだからです。そうなることこのメッセージも伝えるべき相手は居ないとなるのです。

では悟りのメッセージは誰に届くのか???

このメッセージの届け先は気づきの意識です、、人の役をしている、人を演技している気づきの意識そのものに届きます。思考の奥底に居る気づきの意識、個人の奥底に居る気づきの意識にこのメッセージは届けられるのです。そして気づきの意識が個人が実は居ないという気づきに至った時が悟りです。個人もおらず、自由意志もない、、という気づきに至った時が悟りです。

マインドという現状維持機能を俯瞰する

思考はただ現状維持のために機能する

多くの方は自分の思考に絶対的な信頼を置いていますが、、、この思考は、、、現状を維持するためにただ機能として湧き続けるだけです。今食べれているならば、、、、この状況を維持するために湧き続けます。。。例えばスーパーブラック企業に居てもそこにいて食べれていれば、、、思考はこの会社を辞めさせないように働くのです。過労死が存在するのはこのためです。これが思考のメカニズムです。この思考を絶対的に信頼するのはどなのか???これが気づきです、、、気づきの意識による気づきです。

思考は悪でもなく善でもない

思考とはただの機能です、、、現状維持機能、、、この機能に善も悪もないのです、、、ただしこの現状維持機能は、、、今至福を全く感じれていなくても、、、その状態を維持するために機能します、、、、覚者が思考を止めろというのも一理あるのです、、、、思考が止まり、、、気づきの意識そのものになれば至福が湧いてきますが、、、、この状態が安定すれば思考はこれを維持しようと機能します。思考が湧き続け、これは自分で在るという思考が湧けば、、、苦しいのですが、、、それでも思考は湧き続けこれを維持します。

思考を俯瞰するとは悟りである

多くの方は思考に振り回され、感情に振り回されて生涯を終えます、、そのような中で思考を完全に俯瞰できるのは思考の機能を完璧に理解し気づけた者だけ、、、これは悟りです。悟りとは究極の俯瞰であり、、、思考を現状維持機能であるという気づきはその一つです。「今日で首だ、、、」こう宣告された者からはあらゆる思考が湧き出すのは、、、、現状維持機能が働くからです、、、なぜ???頭がおかしくなったのか?法律的に大丈夫か??、、、これは現状維持機能のフル活動です。

悟りをコンフォートゾーンに

気づきの意識の状態に慣れる

瞑想とは気づきの意識そのものの状態に慣れることです、、、無我夢中になって何かに集中するのも同じことです、、自我のない状態に率先して慣れていきます、、、するとそこに至福、静寂、平和があることにはっきりと気づきます、気づきの意識が、、、これが悟りです。自分など全くの不在の場所にこそ、、、平和があることに気づくのです。自分が美味しい物、刺激物を得なくても、、、その場で安堵、平和、至福に至れることに気づきます、気づきの意識が。。。これが悟りです。

悟りを理屈として理解し実践して慣れる

悟りについての正しい理解は大切です、、これをしないと自我は全てを所有し、、コンフォートゾーンをズラすことができません。自分がはっきりと居るという認識の中で無我に入ろうと、瞑想をしようと、、、その獲得を全て自我が所有するという場所に戻るでしょう。理屈として悟りを理解し、、その上で瞑想、無我になって集中することで、、自己の不在が安定します。

機能としての自分に戻る

自己の不在が安定してもこの幻想の世界、夢の中の世界、イリュージョンの世界が続く限り、、機能としての自分は存続していきます、、、機能としてこの世界での役に立っていかなければ食べていくことができません。機能としての自己を維持していくことになるのです、、、、ですがこの時にはマインドはこの状態を維持しようとしますから、、、機能向上にただ努めるでしょう、、、機能としての自分磨きに入るはずです。。。

悟りに過剰反応するマインド

マインドは現状維持

マインドの目的は現状維持です、、この体を保持すること、、これが目的ですから、、、今食べれているならばもうこのままでいいのです、、苦しい、辛い、しんどい、、、状況であっても今食べれていれば、、それを維持するために動き続けます。とすると、、、悟りというメッセージ、、、自己が不在であるというメッセージは、、、現状とは全くことなるため、、、マインドの抵抗に合う可能性が高いのです。

全く書籍を読み進めれない

ということで悟り系の書籍が全く人気がない理由がよく分かります。マインドはこれに徹底抗戦します。自己が居ないなど、、、全くの想定外、、、困惑の局地です。ただそれでも読み進めていき、、、自己はいない、、、自由意志はない、、、というメッセージに触れ続けていきますと、、、まさかのマインドがその状態を現状と勘違いが始まります、、、するとマインドはその状態を現状維持しようとするわけです。コンフォートゾーンが自己不在になる。

自己不在というコンフォートゾーン

悟りとは自己不在をコンフォートゾーンにしてしまうことです。そのために無我集中する、瞑想する、メッセージで理解する、など様々あるわけです。自己不在をコンフォートソーンに、自由意志がないをコンフォートゾーンにできれば、、それは悟った状態が安定するということです。マインドはその状態を保持しようと動くようになるのです。