自由意志

全員が悟っている?

たまにあるこの表現

そもそも全員が悟っています、、、この表現を使う覚者はいます、、、我々全員は真我の動きを体現する者、、真我に完全にコントロールされている、、、つまり自由意志など皆無、、ただ真我の動きに対する従順な奴隷、、、そうなれば全員が悟りの中に居る、、、という表現はできます、、、そもそも悟りしかない、、です。。悟りとはこの世界が夢であるという気づきですが、、、この気づきすらも完璧に真我にコントロールされています。ただし真我に自由意志があるのではありません、、真我の動きは、、、、化学反応です。

悟りを開く誰かはいない

全員が悟っているという表現の裏には、、、誰も悟りを開く人間はいないという大前提があります。悟りを開く個人は居ない、、、、個人という存在が夢の登場人物に過ぎなかったという気づきです、、、全員が夢の登場人物だったという突然の気づき、、これが悟りです、、ということはこの体も体に過ぎず、、それ以上もそれ以下でもない、、、

悟りを学び始めると、、、

悟りを学び始めますと、、、そんな夢物語のことを真剣に学ぶなんて、、と揶揄されます、、そんなことより現実が大切だよ、、と、、、、私から言わせれば、、、、現実を見るよりのこの夢をもっと真剣に没入した方が良い、、というアドバイスに聞こえます、、悟りとは現実を現実として見ることです、、これが夢だと悟ることです、、、、この夢の中で嫌われる行動第一位、、、これが夢だと気づかせることです。。

全体と自分のどんでん返し

周りが自分でこれが自分以外

究極の騙し絵、、これがこの世界の真実です、、、究極の騙し絵、、どういう騙し絵なのか???それはこの体が自分以外で、周囲が自分だったという気づきです、、、真逆、、そうです、、このコントロールできる体こそが自分以外で、、全くコントロールが利かない周囲が自分です。全くコントロールできないのに、、自分ってどういうこと????コントロールが利かない、、のが普通なのです、、これが真理なのです、、真理とは何もコントロールできる存在は居ないという気づきです。つまりコントロールできない存在こそが自分自身、見える世界の全ては自由意志ではコントロールできませんから自分です。

だとしたらこの体は何だ???

周囲は全部コントロールできない、、だから自分、、、では、、コントロールできてしまうこの体、、この体は誰のものだ????心臓の動きはコントロールできない、、自分、、、、腎臓の動きも、爪も、肌の育成も髪の成長も、、、分泌物の生成も、、全部コントロールできない、、つまり自分、、、、唯一コントロールできる存在思考、行動のみ、、、、これは誰のものだ????この究極の例外は誰だ???

コントロールできているという思考がただコントロール無しに湧いている

「唯一コントロールできているこの思考と行動は私がコントロールしている」という思考がコントロール無しにただ湧いています、、、これでコントロールできている存在が完璧になくなりました、、全部が全部コントロールされていない、、、全部が全部真我の動き、つまり自分です。。。最後の難関、、、思考と行動、、、これはコントロールできている思い込む思考が湧いている、、、コントロール無しに。

「私が居る」の中で何もコントロールなく起こり続ける

真実はこうです、「私が在る」この絶対的感覚の中で、、、何一つコントロールなく、、、あらゆる現象が起き続けています、、この体も含め、、全部が全部コントロールなく事が起こり続けています、、この体を通じた経験の全てはコントロールなく起こり続けます、、、この起こる動きのエネルギーが自分、真我、無我、ワンネスです。

騙された、、、

真逆

私が観ている世界、、見える世界の全活動を動かしているのが自分です、、そしてこの動きのスペースも自分です、、そしてこれを見るこの体、、この体の動き、経験全部が自分の動きです、、、、これまではこの体だけが自分であるという認識が起きていました、、、この体だけがコントロールが利いているという勘違いが起きていました、、ですが本当はこの体は中の自分がコントロールしていない、、、この誤認識が私物語の最重要ポイントです、この体の中の私は全くもって一切のコントロールをしていなかった、、これだけ、、、これで全部が全部理解できてしまう、、、、なぜ目の前の景色に映る動物の全てをコントロールしているという絶対的自覚がないのか????そうですコントーロールできる存在など誰もいないのです。

全部が全部コントロールなど起きていない

この体だけはコントロールが利いている、、この勘違いが起きています、、この世界の中の全てにおいて、、この勘違いが全てです、、本当は何もコントロールが起きていない、、全視界の中で、、、だから私が全部なんです、、、全くコントロールが利かない活動全部が自分なのです、、、この体がコントロールが利くという思考も全て。

このブログを自由意志で読んでいる個人が居ない

そんなことはない、、このブログを私は自分の意志で読んでいる、、その証拠に5秒後には読むことを止めることができる、、、しかも正確に。。。違うんです、、その思考こそが今真我から起こったのです、、、だから勘違いが終わらないのです、、、5秒後に活動を止める自分がいるぞ、、、という思考が真我から起きたのです、、この理論を否定できる証拠はありますか???ということです。

真我生まれ真我育ち見える物全部真我

我々は真我から一度も離れたことがなかった

我々は真我から一度たりとも離れたことがありません、、そんなはずは????こんなに苦しいのに、、なぜ???真我から離れていないのならば、、なぜ苦しい???そうですよね、信じられないですよね、、、ですが、、本当なのです、、真我から一切離れていなくても、、事実はがっつりそうなのです。真我がこの苦しくなるような動きを起こしたのです、、それが自我です、、、これは真我が生み出した創造物です、、この事実に気づくことが起きた時、この苦しには解消されます。

苦しみを作り出したのは真我

一切何も問題がないのは苦しみを作り出したのは真我そのものであること、自分でこの苦しみを作り出したのですから、、何も誰も悪くない、、悪いと言えば真我になりますが、、、真我も自由意志でこれを作ったのではなく、、ただそれが起こった、、という事実です。良い行い、悪い行い、、全部真我からただ湧き起こります、、良い悪いという判断すらも真我から湧き起こる、、、どこまでいっても真我劇場です。

真我総指揮自我物語

この世界は真我総指揮自我物語です、、ですから喜怒哀楽の全ては真我が作り出しています、自我があってこの物語があって喜怒哀楽がある、、、この全てを作り出しているのが真我です。。今私は映画を観て楽しくなった、、この経験の全てを作り出したのが真我です、、、神です、、そしてこの活動が起こるスペース、これも真我です、、もしくは空、絶対などと言います。だからなんだ???この疑問すらも今真我から生まれました。だったらもう深刻に考えなくていいな、、この感想も今真我から生まれました。

今に居るのに不幸になれない

今は静寂しかない

今年は大不況ですよ、今年の会社の売り上げはとんでもなく下がることに、、税金がまた来年上がるらしい、、このような情報が入ってくると思考はフル回転、、、どうしよう、どうしようと、、、エンドレスに回転を始めます、、、ですがこの回転こそが不幸への入り口、地獄への入り口です、、、、信じられないかもしれませんが我々は一生こうして思考に取り込まれ続けるのです。

状況は変わって当たり前

状況は毎秒毎秒変わります、、これが森羅万象の動き、諸行無常です、、、これが事実、真理です、、、、この変化に人間は名前をつけてニュースにします、、、そこにさらに大変だ、、まーまー大変だ、、ちょっと大変だと、、、解釈を加えていきます、、この状況の変化に対してこの体の動きも変化します、、、ただそれだけ、、、ここに思考の解釈が入ります(これも森羅万象の動き)、、、これで苦しくなります、、変化の中で自由意志を発揮する自分が登場します(森羅万象の動き)、、ここが苦しみの場所です、、

事実をただ淡々と受け入れる

状況の変化に意味は一切ありません、、それだけが森羅万象のルールだからです、、、この変化、、、そしてこの体も動く、、これも森羅万象の動き、、唯一のルールです、、、、これに対して本来は思考の解釈は必要ありません、、、思考の解釈がなくとも、、、、変化が起き続けるからです、、、さらに言えば思考の解釈がこの森羅万象の動きに影響を与えることもありません、、、もっといえば思考の動きも森羅万象の動きです、、、どこまでいっても森羅万象の動きしかない、、、ならば黙ってこれを観察するのが良いということになります。観察する場所こそが静寂、平和、安堵です。。。

幻想はこの現実で十分

画面の世界に夢中になる滑稽さ

この現実は完全なる幻想です、、、我々は現実と呼ばれるこの幻想の世界にどっぷり浸かり生きています、、するとこの幻想の世界は現実的に見えます、、、この幻想の世界に疲れると、、、人は画面の中に吸い込まれていきます、、映画、TV、ゲーム、YOUTUBE、TIKTOKなどなど、、、これらはこの幻想の世界の中でさらに幻想の中に引き込んでくれる道具です。今既に幻想の中に居るにも関わらず、、、さらなる幻想に逃げ場を求めているのです。

この幻想をもっと楽しんでみる

ここがまさに幻想ど真ん中です、、この幻想が最高峰のクオリティー、この幻想が、、究極のサバイバルゲームです、、、なぜここを楽しまないのか???です。。。これを幻想と完全に見抜き、、この幻想を楽しみ尽くすのです。この幻想に後悔は禁物です、、、後悔できる自己は存在しません、、自由意志もないのです、、、本当は。。ゲーム中は勿論自由意志をフル発揮するればいい、、、本当はないけど。。

幻想ゲームを楽しむ機能としての自分

幻想ゲームを楽しむ機能としての自分が存在します、、、この体です、、、この体を機能として、、いかにこの幻想ゲーム上で楽しみ尽くすかです、、、宇宙の機能として、、楽しいを追求していきます、、、神としてこの体をフル回転させていく、、楽しいを追求していきます、、こんな役として世の中に貢献したいな、、こんな機能として世の中にサービスを提供したいなーの連続です。自己超越して楽しみます。

進学するか就職するか???

若い時期は悩む

進学すべきか、、就職すべきか????悩む。。。若い時期はとにかく悩みます、、、ですが、、、これを決めることができる個人は居ません、、、、全部森羅万象の現れです、、、個人が居るという感覚も森羅万象の現れです、、その個人が自由意志を行使できるという感覚も森羅万象の現れです、、、神羅万象の現れの共通点、、それは化学反応、縁起、因果の世界、、、です。。。反応が反応を起こし続けているだけの世界です。ここを見抜けない期間は「人が悩み続けるという現象」が起き続けます。

この仕組みに気づきの意識、空が気づく

悟りとは、、、気づきの意識の人間への同一化、、、からの同一化していることへの気づきが起き、、、同一化の終焉が起きることです。。。。全体、アイアム、気づきの意識が人間に同一化することでこの人間ゲームを堪能するわけですが、、、、この状態に気づき、、、、全体に戻る、、ことが悟りです。すると人間の動きも、この現実の動きも全部ただ森羅万象の動きであったことに気づき。。。。その中で分離錯覚しているというやはり現象が起きていたことにも気づきます。

なぜもっと早く気付けなかったのか????

違います、、、気づくのは気づきの意識です、、全体、アイアムです、、、人間はただの現象です、、現象が気づくのではありません、、、気づくことができるのは、、気づきの意識だけなのです、、、気づきの意識をコントロールできる存在は存在しません、、、気づきの意識が存在そのものだからです、、、、気づきがお遅い気づきの意識は居ないのです、、、気づきの意識は完璧なタイミングで気付いていきます。

虫が部屋に入ってくる

ただそれだけ、、

虫が部屋に入ってきただけなのに、、、それが楽しい、、、、将来に対する不安も過去に対する後悔も完全に無くなってしまった時に、、、見える世界が変わります、、、、平和そのもの、、、、ニュースを見れば、、毎日それでも騒々しいですが、、、全くそれで心が動かない、、、いや動けない、、そのニュースを聞いて判断を下せる自分がいないのですから。。。そんなことよりも、、、ただ景色が綺麗、ただ虫が面白い、、ただ鳥が美しいになっていきます。

年金が貰えなくなるよ!どうするの???

年金が将来、貰えないみたいだよ!!!どうするの????どうもこうもそれを判断する自分が居なければ、、自由意志もないのです、、、どうもできんのです!!、、、以上、、、これは何もかも情報を得ないことではありません、、、自分という機能としては情報を積極的に集めそれに備えることは勿論可能です、、ですがその動きが森羅万象の動きそのものしかないということです、、、

老後に向けて森羅万象が動くのかも

老後に向けて森羅万象の動きがあるかもしれませんし、ないかもしれません、、、それは森羅万象の動き次第なのです。これが究極の答えです、、その上であえて便宜上の意見があるとすれば、、、そこに向けて無我に入るということです、、老後に向けての貯金に対し無我に入って働くということです、、、無我に入って働けばそこから静寂、至福、平和に入れます。

今幸せなのになぜ他に何かを求めるのか?

今この場で幸せになる

今この場で幸せになるのが難しくても、、今この場で不幸を終えることはできます。人の不幸は過去を後悔し将来を憂うのがほとんどです。これをこの瞬間に終わらせることができます、、、それが自由意志がないという真実です。。。自由意志がないのです、、、となれば刑務所に行こうと、一億円を儲けようと、、、全部この自分の責任、功績ではないということです。これで少なくとも過去を悔やむこと、将来を憂うということが出来なくなります。

人生から心配が消えてなくなる

自分の自由意志があり、、、これをフル発揮して少しでも良い人生を、、、こう多くの人は考えていますが、、、その自由意志が本当はないのです、、すると、、、人から見て良い人生になるかならないかは神任せ、風任せ、川任せになります、、、、どうやって期待をすることができるでしょうか???期待するだけ損です。将来を気に掛ける時間が損なのです。。。多くの方が億万長者に憧れるのは、、、将来の心配をしなくていいからですよね、、、、今それが出来るのです、、、最高ですよね。

心配と後悔が吹っ飛ぶと、自然とあるがままになる

あるがままに生きましょう、、、こんなスローガンを聞いても全く意味がないのは、、、将来不安、過去の後悔、、これが消えないからです、、、ですから先ずはこれを辞めちゃう、、辞めちゃうというよりも、、これが出来ないことを知る、、、すると全くやることがない、、、ということで、、、なすがまま、あるがままがスタートします、本当のあるがままの人生です。。何かを求める人生から、、ただ機能としての自分を楽しむあるがままの人生がスタートします。

今に居れないから、、、時間を気にする

今に居ることが出来れば将来不安はない

今に居ることができれば、、、その時その時にその行為に埋没すればいいだけです、、、仕事に入り無我になる、、作業に入り無我になる、、、読書を通じ無我になる、、、なんでも気が向くことに入り無我になればいいのです。。ここは静寂の場所、平和な場所、至福の場所です、、、、誰にも邪魔されません、、、ここに入れない人が、、将来を過剰に心配するのです。

後悔も心配もしなくていい

後悔も心配も自由意志があると信じているからこそです、、、ですが自由意志はありません、、、将来を左右するような決断を自分の意思では一切できないのです。。。これが真実です、、、、だとしたら一体何を心配し悩むことができるのでしょうか????無理です。。。。心配も後悔もできなくなると自然と今に居ることができるようになります、、小さな子供が今に居れるのは、、心配できないからです。

現象として幻想として情報を集める

株のブローカーであれば、、、情報を集めるのは当然のことです、、、この際にはこれは現象、幻想であることを見抜いて集めればいいのです、、、情報という現象から株を精査し次に買うべき株を吟味していきます、、、ですがこのことと、、、静寂、至福、平和とは全く関係がありません、、、静寂、至福、平和は時間ではなく今にしかないのです、、、、ここを理解し、、、情報収集を通じて無我に入ります、、、もしくは株に関して思考が湧いてきてもそこを気づきの意識として観察し今に入るのです。