真我
この世界は真我から自我が現れ、その自我から心が現れ、、最終的に物質化したものです。粗大な体を「真我」と同一視することで、、粗大な世界が立ち現れました。ですがこの物質化した世界は眠りとともに消え失せます。自我がこの物質化した世界を撤収するのです。眠りとは自我が拡げた出店(世界)を撤収して自我不在になることです。つまり目覚めと眠りの違いは、、自我の出店(世界)が在るかないかの違いなのです。
真我実現
真我実現とは自我の出店出店(世界)が現れようが現れまいが、、、そんなこととは何も関係なく真我として「在る」ことです。自我の出店(世界)がいかに荒れ果てていようが平和であろうが、、何も関係なく真我として「在る」ことです。自我は出店を出店し、、夜になると引き上げます。真我の存在を完全に忘れてしまっている時、、、自我の出店だけが実在になり、、、体である私はこの世界に翻弄され続けるのです。
自我の終焉
真我の存在が完全に忘れ去られた時、、、体である「私」だけが実在であり、、、世界という実在の中で翻弄され続けます。世界は荒れ狂い、問題が勃発し続け、、、その中を彷徨うように生きるのです。なぜならば自我自体が矛盾の塊でありそれを通じた世界もまた矛盾の塊になるのです。だから世界の中で幸福になることはできません。世界とは何か???私とは何か????という疑問を持ち、自我の矛盾を発見する以外にこの世界は苦しいままです。
快楽と苦悩
世界は実在すると信じるからこの世界の中で快楽と苦悩を行ったり来たりします。快楽は苦悩を一旦は忘れさせてくれますが、、その次にはまた苦悩が始まります。快楽と苦悩のシーソーゲームが続きます。そこに行ってはなりません。そうではなく、、、この世界とは何か???この私とは何か???そこに向かうのです。するとこの物質化現象を作り出した真の私、真我が発見されます。真我はそのままで至福であり、、至福こそが我々の本性です。