ゴング
世界は心の現れであり、、その心は自我によって生み出されます。悩み事の多くは自分ごとか、自分の周囲についてです。全く知らないどこかの田中さんについて思い煩うことがないように我々の思考は私事なのです。ですから世界が心の産物と分かって心に飲み込まれ、、心は最後自分、私に飲み込まれます。では、、、最後に残ったこの私は何によって気づかれているのか????真我です。真我が自我に気づくのです。心も消え、世界も消え去り、、最後に残った自我が真我によって気づかれています。「私」という精妙な思考が取り残されたのです。
この思考は誰のもの????
思考が起こるたびに、、この思考は果たして誰のものなのか????と思考してみてください。間違いなくその思考は「私」のものです。その「私」から気づけば次々に思考が嵐のように吹き荒れています。その思考が世界を生み出しています。ですが世界が心思考の産物と気づけば世界が消え去り、、心は自我に引き戻されていきます。世界を失った思考は思考することがなくなるのです。そして「私」が取り残されて今ここに在るわけです。
私
いやいや取り残された「私」は当然真我ですよね????違うんです。真我は絶対に「私」とは言わないのです。なぜか????真我しかないのだから真我が私と叫ぶならば私以外が確実に存在するのです。ところが真我以外が何も存在しないのです。神以外が何も存在しないのです。だから、、、、、この「私」は真我の声ではなく、、ただ起こった現象なのです。「在る」「生」「意識」から生み出された思考が「私」です。生み出された思考の私は間違いなく「在る」「生」「意識」であるはずがなく、、故に私は用無しになって真我に吸収されていきます。詐欺師の撤収です。お役御免です。
その後
その後も当然私という思考は起こりはしますが、、その私は真我「在る」「生」「意識」であるはずがなく、、私は起こっては消えていくのです。私が常駐する理由は一切なく、、、故に私は儚い現象の一部になっていきます。体、心を私が捕まえようとも、、その私は「在る」「生」「意識」ではないことが明白であり、、故に、、存在し続ける理由がもはやないのです。