自己中心的

本当の

実は実は自己中心的な生き方が「悟り」です。究極の自己中心的な生き方が「悟り」です。自分のことばかり考えていて酷い、これが世間で言う人間業界でいう自己中心的な生き方です。そんなもんじゃいないんです、そんな中途半端な感じじゃないんです。「いまここ以外存在しない」という真実に沿った自己中です。いまここしか存在しないのだから「考えるだけ無駄」というぐらいの割り切りです。地球の裏側には今も今日のご飯が食べれない子供たちが、、、、、、「存在しません、終わり」、、、、超自己中心的、冷酷、残忍、、、、、でも真実です。

会社

「あなたに急に辞められたら会社が潰れます!!!だからせめて来年までは辞めないでください。」大丈夫です、私が会社を辞めて会社に行かなければこの会社は存在しなくなるので。。。。。アベシ、ヒデブー、、、超自己中心的を通り越してもはや人間じゃない!!!!、、、、、ですがですが真実です。そうです、、真実をベースにした発言生き方は「超超超自己中」に映るかもしれない、、、、極悪非道に映るかもしれない、、、周囲から。ですがですが、、、、、真実はそうなっています。

残酷ではない

周囲から何を言われてもどこまで非難されても「実際に被害を受ける人が居ない」のですからこれは全く卑劣でも冷酷でも極悪でもないのです。被害者が皆無なので。「いまここ」以外で被害者が生まれることは不可能なのです。あなたが会社を辞めて家に居る時「辞められた会社はこの世界に存在しない」のです。「迷惑被る同僚は存在しない」のです。だからだから全く自己中心的ですらない、、、、のです。自己中心的というのは被害者が居て成り立つのですが、、その被害者が存在しない時、それはただの自由です。

悟り

真実をベースにした発想は「人間業界の常識」からすると危険です。超危険。ですが実際にはこの行動は「余裕」を作ります、半端なく無理が無くなるのです。会社のことを一ミリも心配しないことで心に余裕が生まれ結果優しくなれます、逆にしっかりと寄り添えるのです。例えば会社を辞める際も「病気」として辞める気遣いが生まれます。表面上はトラブルにならないような工夫ができるのです。だから結果的には自己中心的な発言、行動には映らない可能性が高くなります。悟りとは真実を捉え、、余裕を作り出し、結果人間業界に寄り添う余裕すらを作ることです。

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