体験の一つ一つに集中することでどこからでも無心に入る

体験に対し思考が湧いてもそれに執着せずそのまま体験にあり続ける

カフェで美味しいコーヒーを飲んだ時に、思考が湧いてきます。これは原価いくらだろうか?このお店は儲かっているのか?この後何の予定が入っていたっけ?これらの思考は体験に入り込むのを邪魔する思考の罠です。美味しい、、その感覚に入り込んだ時思考は実は停止しています。その瞬間無我、無心、真我になっています。自我が抜け落ちています。ですがすぐに思考は巻き返しを図りそこに意味を付けたがりストーリーに連れ戻するのです。コーヒーは美味しかった、、、、そう言えば昨日の用事は済ませただろうか?と無我、無心は一瞬で終わります。そうではなく美味しい瞬間の無我を堪能したらそのまま次の体験にシフトして無我を継続していきます。すべての所作は無我に入り込むために利用していきます。

TV、映画、エンタメは無心になるための遊び

大人がストレス発散に映画やTVを観るのはこれは偶然ではありません。映画をなぜ観るのか、TVをなぜ観るのか?これは何かに人が集中する時思考が抜け落ち、この心身こそが自分だという思考が抜け落ちることで無我、無心、真我になっているのです。真我、全存在、大いなる一つはそのまま歓喜、安心、平和ですから観ている間その状態にシフトしているのです。面白い、楽しい、エキサイティングは感覚であり、、この瞬間思考が飛びます。ですがこれらに危険があるのは故に中毒性があり抜けられなくなってしまうことです。遊びを通じて無我にシフトするのは良いのですが全ての行為にこれを応用していく必要があります。

覚醒剤は脳に直接作用して思考を強制終了し、自我を強制終了させそのまま無我にシフトさせる

覚醒剤の危険さは、薬物によって強制的に無我体験をさせてしまうことで抜け出せなくなってしまうことです。覚醒剤は思考に直接作用することで思考を強制終了し、この心身こそが自分であるという思考も強制終了します。結果自我が抜け落ちることで無我に至ります。これが至福感、恍惚感となるのです。お酒以上に思考に訴えかける作用が強いため中毒性はかなりのものです、一回これをやったら二度と抜け出せないのはこの夢物語では絶対に感じることができない歓喜、安堵を安易に得てしまったからです。重要なことはこのメカニズムを理解することで覚醒剤なんかに頼らなくてもその境地にシフトすることを学ぶことです。そのために思考を利用します。

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