社会に適合
宮台真司さんの講演で「あなたはなぜつまらない人間なのか???」という議題での公演があります。「あなたは社会が作った法律、ルール、社規、、、にマジでガチで適応しようとしている、、、だからつまらない人間なのだ。。。本当のコミュニケーションとは法の外、ルールの外にある。人間の価値は法律の中、ルールの中に閉じ込められたものではない、、、」という趣旨の内容です。まさにその通りです。我々は、、、社会どころか世界、宇宙の中の存在でもないのです。我々の中に宇宙も、世界も、社会も、会社も存在するのです。あなたなしに宇宙も、世界も、会社も社会も法律も存在できないのです。
ですが、、、
そうは問屋が卸さない、、動きがあります。それがヴァーサナーです。vasana。真実に目覚めていくのではなく作った世界にガチマジで適応しようとする動きです。この動きが悪なのではありません、この動きが苦しみの継続なのです。宮台真司さんは人間は決して法律よりも社会よりも会社よりも価値のない存在なのではないと叫んでいましたが、、そこに甘んじる動きがvasanaです。この動きは、、真実の発見の前の未発見という経験のために起こるのです。未発見の時期がなければ発見という体験が起こらないのです。アメリカ大陸発見という歴史があるのは発見されていない期間があるからこそです。
vasanaが消えると
vasanaが消えていきますと、、、vasanaによって隠されていた真実が現れてきます。物事がありのままに見えてきます。今はまだ、、見えていないのです。社会にガチマジで適応しなくては!!!という動きはまだvasanaによってありのままの世界が見えていないということです。このことをジニャーナヨーガではsiddhi(シッディ)と言って、、超自然能力と言います。なぜあの人は見えているのか????です。あの人にしか見えていない世界がある、、、の能力です。この能力が開発されてきた時、社会、会社にマジガチで適応しなくては!!!が起こりません。なぜならばその必要がないことが見えているからです。
幼少期
幼少期は皮肉にも見えていたのです。幼少期はマジガチで社会に対応しなくていいことが見えていたのです。ですがvasanaが発動し始め、、ありのままの世界に影が出てきたとき「見えなくなった」のです。超自然能力(siddhi)が閉じました。これによって我々は社会の従順な(何か)に甘んじるようになります。ですがどこかでは感じます、何かがおかしい、、幼少期はこんな感じじゃなかった、、、です。そうです、それが真我探究の発露です。