複雑化する社会の中で

中高生時代に絶望する

子供から大人になっていく過程で人間はどうやって生きていくべきかを思考するようになるのですがTVニュースなどを見る限りどうやら社会は大変複雑になっていると気づき始めます。そして勉強が得意ないわゆる優等生ほどに保守的になっていくことからもどうやら生きていくとは保守的に収まっていくものなのかもと思い始めるのです。自由とはほど遠い、むしろいかに安全に収入を得ていくかを真剣に考えていく人生になっていくのです。

自由とはほど遠い生活

一つ一つの選択が重要になる生き方とは自由とは程遠い生き方です、そうです自我が行使する決断人生は大変重いわけです。本当は自由そのものであるにも関わらず自由とは対局の行き方を選び生きていくのです。世の中で成功者と呼ばれる人々が選択の王であるのならば彼らは自由とは対極にいるわけです。自由とはなにを選んでも良いことであり成功とは選択を誤らなかったことだからです。

成功法則の罠

成功者の成功本を読めばあらゆる選択の重要性が説かれています。成功者はこの時どういう決断をするのか!の羅列です。年収1億円プレイヤーはこういう決断をする!です。ですがこれはより決断を慎重に適格に行えというアンチテーゼでありこれは自由とは真逆の生き方のなのです。彼らは選択を間違えばいつでも非成功者に戻ると宣言しているのですから。我々の本質は自由であり全ての選択肢を楽しむ存在です。成功者になるためには、そして成功者であり続けるためには選択を適正に行い続ける必要があるのですから。これは自由とは真逆のことです。

社会が複雑であろうと

社会が複雑であろうと、、我々はいつでも自由になれます、、それは先ず選択するという行為を自分がやっていないことを早く悟ることです。選択の全ては自動反応で起こっており自分は何も介在していないのです。今現在自分が決断に関与していると思っているのはそう思っていからだけです。だから社会が複雑であろうと単純であろうと決断には全く個人は関与できないのです。つまり流されていくだけです。

流されていくことでどんどん自由になる

何も決断を自分はしていない、この真実に染まっていきますと、、環境がどうであれ悩むということが不可能になります。悩むというのは自分が決断に関与していると信じているから悩むのであって全く関与していないのであれば悩むのは不可能なのです。会社の経営会議に参加すらしていない社員が議決の判断に悩むのは不可能です。少なくとも悩むことに全く意味がないことに気づくだけで世界は軽くなります。

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