絶対を探し求める
もしも自我が実在(永遠)する存在ならば自我は体と同一化する必要がありません。自我は心と同一化する必要がありません。絶対的実在はそれそのもので十二分に完成されているのですから何かに依存する必要が最初からないのです。自我は立ち現れた瞬間この体と同一化を図るわけですがその動き自体が自我が実在しない非実在であることの絶対的証拠なのです。自我は体と同一化し、心と同一化し、、、と絶対的存在と思える存在に依存していくのです。
そして
絶対であることをより盤石にするために、、、良い学校を出て、良い会社に入り、良いパートナーを得て、良い家族を作り、、良いコミュニティを形成し、、、と絶対的存在の盤石化に傾倒していくのです。ですがこの行為の根本原因が自我が実在ではないからです。自我が幻想に過ぎない、自我が蜃気楼に過ぎない、、確固たる証拠なのです。
SNS
SNS とは何でしょうか???ネット上の繋がりです。なぜ繋がりたがるの?????なぜならば非実在の自我は、、、実在に見える他人と繋がっていくことで存在を確かなものにしていきたいからです。孤独=地獄なわけです。ですが自我が実在する絶対的存在ならばなぜ他人との繋がりを求めるのか???という話です。インターネットの普及で自我は何をしたのか????多くの他人と繋がって自我が実在しているという錯覚を持ちたいわけです。その行為自体が実在とかけ離れていることに気づかずに。
さてと
多くの友人、多くの財産、多くのコミュニティーを得たにも関わらず全く心が穏やかにならない自我は、、何かがおかしい、、と気づき始めます。全く友人がいなかった時も、、全てを手に入れたこの状況も、、、苦しいのが変わらない、、、あり得ない、、、となるのです。そして自我はその原因探求に入っていくのです。これが真我探求(ヴィチャーラ)です。