ただひたすらに湧いてくる欠乏感を自分のモノとして生きていく登場人物

ストレスが溜まっている日の夢は悪夢になる

凄いハッピーな1日を過ごした日に悪夢を見ることはあまりないです。ストレスフルな1日を過ごした日は悪夢を見るパターンが多い。ストレスフルだった日はなぜか夢の登場人物に災難が降りかかり悪夢にうなされます。つまり夢を見ている張本人のストレスによって夢の展開は変わっていくわけです。夢の登場人物はストレスを自分のモノとしてこのストレス解消のためにあらゆる行動を起こし夢が展開されていくということになります。

この現実社会も全く同じ、この夢を認識するモノのストレスを登場人物である私は自分のモノとしてただひたすらに行動していく

この夢を認識し、かつこの夢そのものである気づきの意識、大いなる一つは「私」がいるという錯覚をお超すことでこの夢を展開していきます。この心身こそ私であるという錯覚を持ち続けた主人公である私はなんともいえない欠乏感、孤独感、欠落感を解消するべくこの夢の中で活動し続けています。この夢の凄いところは個人がいるという勘違いが強くなればなるほどにストレスが増大するようになっていることです。ストレスを自分のモノとして解決しようする責任感が強い主人公であればあるほどによりストレスは増大していきます。

夢をただ認識する気づきの意識は主人公の行動に奔走されることは全くない

あなたが昨晩見た夢の中で、、主人公が全く意に介さないような行動をとったとしてもそれを後悔することはありません。夢の中での主人公の行動が失敗続きだったとしても所詮夢の中の行動でありそれ以上でもそれ以下でもない、、ただそれだけです。この現実社会も気づきの意識がみる夢ですから気づきの意識が主人公である私の行動に右往左往することはありません。私を主人公に置いてただ夢が展開されていきます。気づきの意識が展開する夢ですから主人公の私が取る行動の結果は全て気づきの意識が勝手に決めるということです。因果応報はあるようには見えますが無いといえば全くないです。所詮夢ですから。

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