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一瞥体験とは「私は悟ったというイメージ」を起こすような体験が起こることです。その体験があまりに強烈だから、、、「私は悟った」という思考が湧き続け、、、それが忘れられない、、、という思考が起こります。ですが、、、、その思考と、、、悟りとは全く関係がないがゆえに、、、「またあの体験がしたい」という思考が新たに起こるのです。その思考は不快であり、分離感であり、孤独感であり無力感を伴うがゆえに、、苦しみが起こります。
なぜ????????
なぜ??????なぜあんな素晴らしい体験をした私が今なぜ苦しいのか????????と迷いの中に入っていきますが、、、真実を言ってしまえば、、、、その気づきは、、悟りではないからです。悟りとは、、まさにその思考、、その思考がなぜ苦しみを作りかに気づくことだからです。つまり悟りとは「迷いがゼロ」のことであり、、、どうやったらあの体験をまたできるか??????と悩んでいる時点でその気づきには至っていないのです。
思考
悟りの鍵は「体験」ではないんです。。。。。。思考が起こす「苦しみ」に気づくことです。思考がどのように苦しみを作り出すかに気づくことであり「至高体験」でその気づきに至らないならば、、、当たり前ですがまた思考が作り出す孤独感、分離感、無力感、非力感、悲壮感に苦しむのです。金メダルを獲得したから一生悩まない、、、と言っているのと何も変わらないのです、一瞥体験とは。
ただし
その一瞥体験も当たり前ですが自然現象ですから、、それが良いとか悪いとかは一切ありません。誰かがこれを起こしたということも全くなく、、、ただ自然と自然現象が起こったのです。そういう意味では宝くじに当たって一瞬至高を味わった、、、と全く全く同じことです。これが、これこそが「無」だ!!!!という体験がただ起こったのです。