なぜイメージの方が楽しいのか?????

現実

お金を払ってでも散歩に行こう!!!お金を払ってでも働きに行こう!!!お金を払ってでも友人の家に遊びに行こう!!!!ないですよね??????そんなこと、、、「働かせてください!!!!お金を払いますから!!!!」って言葉まず聞かないです。なぜ?????なぜですか???????映画を観るにはお金を払い、、我々の日常では払わない。。。。。

つまり日常は面白くない

映画は面白いのです、、、、、ですが友人とただ会話するにはお金を友人には払いません。なぜ???????当たり前ですよ、映画のストーリーは最高に刺激的だからです。一方友人の話はそれに比べれば刺激的ではないのです。そうです、、、、刺激の強さなんです、、、刺激が強い=面白い、、、刺激が弱い=面白くない、、、ということです。

なぜ退屈なのか???????

なぜ日常生活とはそのそも退屈なんでしょうか?????なぜ?????日常生活=退屈って誰が決めたんですか??????誰も決めていません、、、誰も、、、、でも退屈なんです、、事実として。ではでは答えをお伝えしますね!!!!!!!簡単です、簡単過ぎます、、、「私」という映画をまさに今上映しているからです。「私」という映画では全く何も起こらず平々凡々な毎日が起こるので、、だから退屈なんです。私物語は退屈過ぎて、、、、だからキムタクの映画にお金を払って観るのです。

私映画上映辞めちゃえば!!!!

多くの方は今まさに私物語が絶賛放映中であり、、しかも鬼のようにストーリーが退屈なのです。だからだから映画にお金を払って観るのです。ですがもしも私物語の上映が終われば、、この退屈極まりない映画が終わるわけなんです、、、もう映画を観て退屈を凌ぐ必要がありません。そうです、、もう観なくていいのです。私物語という映画は、、、それが思考が作り出した私物語であるという自覚がない時、、、上映されます。思考が作り出したファンタジーであるという自覚がある時、、もうそれを無理して観ようとは思わないわけです。ただの一つの退屈な映画に成り下がるのです。

その時

私物語という映画の上映が終わった時、、、、そこには生命の活動だけが残ります。生命によるただの五感です、、、、私の五感ではないんです、、、、ただ五感だけがそこにあるんです。。。本当の生、生命、躍動です。その時、、、、退屈な私物語は消え去り、、キムタクの映画を観ようも消え去り、、、ただ生命の中に委ねる、、が起こるのです。