ない
厳密に言えば「自我による行動」は存在しません。行動は全て全自動、全自動反射でありそこに「自我」という存在が介在するような隙間がないのです。「自我」とは起こった反射を「私がやった」と後付けする「思考」であり「感覚」のことです。この感覚が強けば強いほどに「自我が強い」となりますが実際にはありません。構造上不可能なのです。
前提の
ただし、、「私がやっている」という前提の反射が起こります。「自我」前提の言動が反射としては起こります。この行動が神経不安症的な言動になっていくのです。例えば引きこもり、不登校、などなど、、神経症的な言動を引き起こす「原因」として「私が全部やっている」という思考がなることはあります。ですがその「私が全部やっている」という勘違いすらも自然と起こったのですからそこにコントロールもありません。
だが
今ここでこの仕組みの理解が起こりました。認識が起こったのです。今まで自然と勝手に起こっていた「自我」ベースの自動反射を、、俯瞰して認識する認識が起こりました。この認識が起こった時「自我ベース」の反射が起こらなくなります。「本当は地球が自転しているんだ」という新しい認識が起こった時「太陽が回っている」という認識が消えます。「本当はただ反射しか起こっていなかった」という新しい認識が起こった時「自我」という認識が消えます、自我という認識が消えた時「自我ベースの反射」が起こらなくなります。