主体が居ない世界

飛び出る

主体は本当は居ないのです。ですが「主体が居ると信じる階層」はあります。それが人間業界です。そしてその人間業界の中にも階層があります。「全部を他人の責任にする階層」です。『人には自由意志がありその自由意志で「私」は被害に常にあっている』という階層があります。私は被害者だから人も私の被害にあってしかるべき。よって私は他人から奪うし利用する、、、という階層です。

その上に

「全部を自分の責任にする階層」があります。「何があってもどんな状況にあっても全部全部私の責任です」という階層があります。「私の自由意志で全部の環境はコントロールできるなぜならば周囲は反応でしかないからだ」という認識の階層です。半分悟っています、「周囲には自由意志はない」という前提の行動を取れているのですから。ですが自分には自由意志と責任があるという信念を所有しています。

さらにその上に

全部を自己責任で行っている人がある日突然「他己責任」主義に変わることは稀です。なぜならば「自己責任」の方が楽だからです。「周囲には自由意志はなく反射でしかない」という気づきは楽なんです、真実だから。そしてもっと楽な階層「そもそも主体が居ない」です「そもそも自由意志を使う主体すら居ない」という気づきの層です。「他人は勿論この体にも主体が実は居ない」という気づきの層です。

楽々楽

自己責任主義が他己責任主義よりも「楽」なのは真実だからです。だとすれば本当の真実「誰にも主体が居ない」に立ち戻ればもっと楽。「無己責任」主義です「他己責任から自己責任、、自己責任から無己責任」です。世間ではこれは無責任男です。ですがそんな「しょぼい」もんじゃないです。「無己責任」とは他人を一切責めず自分も責めない、、、完全なあるがままです。責めるべき主体が実は居なかったという気づきです。