どうせ幸福にはならないのだから

ガムシャラに働くしかないんです

悟りなんて悠長なこと言っていたところで、、電気代の請求書、水道、ガス、住民税、年金、家賃、、、何もかもが待ってくれず、、ガンガンきますよ!!!この状況で「悟り」を学んで何になるんですか?????逆です、逆、、、みんなみんなだから悟りなんて考えている暇ないと目の前の現実に一点集中しているから「苦しみ」に押し寄せられて余裕がないんです。どうせ何をしたって何を叶えたって何が成就したって「幸福」にならないのだから全部やっても無駄なんです。

無駄無駄無駄

皆さんは私たちは全部生活のために頑張っているんだ!!!と言っておきながら周囲への配慮、親族への配慮、両親への配慮、野球チームへの配慮、会社への配慮、、、に恐ろしいほどのパワーを取られています。というか全パワーが配慮に取られている。。。。ですがその全配慮は無駄に終わります、、幸福になる!!!!という目標においては無駄に終わるのです、、そこに気づきます。というか気づかされる時がきます。

突然の解雇

膝を痛めそれでもチームのために全部を犠牲にしてやってきた、、そして優勝達成、、、膝は壊滅状態、、、、成し遂げた!!!!!!完全完璧!!!!!、、、、ところが翌年の解雇通告、、、嘘でしょ!!!!!マジか!!!!信じられない!!!!!です。これです、、これが起こるんです。。。ここは全自動全反射の世界です、、その犠牲をその貢献を見守る「自我」が存在しないのです。だから何でも起こる、何でも、、その時、、真の幸福とは、、個人が成しえれないことを知ります。チームが悪いんじゃない、、何でも起こるのがこの世界なのです。

悟り

悟りとはある種「究極の絶望」です。チームには自我ない、、そしてこの体の中にも幸福に成れる「自我」がないんです。幸福になることができる「自我」が幻なんです。だから幸福になれない、、だから不幸にも実はなれないのですが、、幸福になれると信じているから「苦しい」が続くのです。どうせ幸福になれないのならば全ての活動を「ストップ」して悟りに向かうというタイミングがきます。どうせ今の活動の先には「幸福」はないんです。だったら全活動を辞めてしまい「悟り」に向かうのです。生活のため?????大丈夫勝手に勝手に生活のための活動は続きます、頑張らなくても続くのです。それをコントロールできる「自我」がないからです。