時間も空間もない

これは神の鏡

これって神の鏡です、、ひたすらに神の映像が写っています。ただそれだけ、、だから時間はあるわけがないし、、空間もないのです、、、だって神の鏡に写った映像がただここにあるだけですから。どうしたら空間や時間が存在しえるのでしょうか。しかしながら鏡を目の前に持ってくれば、、何やら「人間」らしき映像が映り、しかもこちらの動きに反応する動きをするではないか!!!!そこで我々はこの鏡に移った人間こそが自分だと信じたんです、、このミニチュア模型を自分と信じたんです。神のミニチュア模型を自分と信じることをしたんです。

本当はこの目の前の視界

本当はこの目の前の視界こそが我々の鏡に映った姿です、、、体はミニチュア模型です。目の前の景色全部が鏡に映った姿でさらにその中にミニチュア模型も写ったり映らなかったりします。周囲からはミニチュア模型だけが認識されその模型に周囲は話しかけますから益々このミニチュア模型を自分と信じる動きが起こるのです。

勝手に自己評価を下げ

我々は勝手に自己評価を極限まで下げ、、自身をミニチュア模型であると信じ込み、、よってとんでもない自己卑下を行っているのが真実です。ですが真実ではいつだって神は神以外にはなれずそのためこの勘違いによって日々違和感を感じているのです。この違和感こそが「苦しみ」と言われる根拠です。

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