苦しみたいのは自我ではなく無我

ここを勘違いしてはいけない

自我、思考は苦しみを生み出すためのメカニズムであってこのメカニズムを採用しているのは無我、ワンネス、大いなる一つです。自我が人間を苦しませたがっているのではありません、自我とはこの心身を自分のものとする思考であり、この思考も全存在、ワンネスから湧いてきているだけです。苦しみを作り出しそれを認識する全存在があるだけ。我々人間(本当はいない)はこのメカニズム上で苦しみを湧き出させる機能です。ですから最初から最後まで悪者はいません、苦しみを味わいたい全存在がそう仕組んだだけのことです。

このメカニズムから抜け出すのを決めるのも全存在、ワンネス、、、人間(本当はいない)に決めることはできない

どのタイミングでこの苦しみのメカニズムが抜け落ちるのか、これを決めれれる人はいません。人は苦しみを作り出すメカニズムの名称ですからそこに解除の決断はできないのです。ワンネスが自我を利用して苦しみ体験をしているだけ、これだけです。

夢を作り夢を見ているのも全存在ですから夢から覚めるのも全存在

夢を作り、夢を見ているのも全存在、当然夢から覚めるのも全存在です。我々人間はその中で苦しみの感情が湧き上がるための道具でしかありません。もちろんこの道具無くして苦しみを経験できないわけですからこの道具は価値があります。価値がないものもありませんが。いつこの夢を見ている全存在が夢から覚めるのかそこは興味が出るところです。人間は苦しむための道具ですからもしも今あなたが苦しんでいるならば役割を全うしている優秀な人間です。

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