神と人間

我々

我々は周囲から見たら100%人間なんです、、ところが主観で見ると完全に神です。客観的に見れば100%人間です。ですが主観的に見れば神です。ダブルスタンダードです。二つともに真実です。神であり人間なんです。友人が食事をする姿は100%人間です、体という物質が食事という物質を食べています。それは真実です、そう見えるのは100%真実です。ですが同時に主観で見ると、、神の目で神の口で神の耳で神の鼻で食事という幻想を経験しています。肉眼を用いず、肉耳を用いず、肉鼻を用いず、肉口を用いずに食事という経験を積むんです。

全員が神

人類80億人は全員が神です、、神ですから、、この肉体などを用いずに、、全経験を積みます。と同時に周囲からは人間です、、100%人間に写ります。神が神の行為をしている姿は、、、周囲からは人間活動に写ります。。真実は神の神活動しか起こりえないのですが、、その活動が幻想上は、、人間活動に写るんです。全人類は周囲に映る姿を真実と勘違いしたんです。だから自我とかエゴとかが起こるのは当たり前なんです。

守ろうとする動き

人間がこの体を守ろうとするのは当たり前なです。なぜならば、、この神活動が、、人間活動だと信じているからです。こんな小さな小さな人間活動しか起こっていないと信じ切っています。大変です、大災難です、弱小です、、、、本当はこの視界で神が神をやっているしそれしかやっていません。ですが、、人間活動だと信じています。だから守ろう、守ろうという動きが起こるんです。

災難

神活動しかしたことがないんです、、神活動しかできないんです、、、ですが周囲からは人間活動に見えるがためにその事実を真実とする動きが起こったんです。これがエゴ、自我です。神のとんでもない活動が、、ただの人間活動だと誤認識され、、その人間活動の主人が自我とされました。悲劇のヒロインです、悲劇の主人公です。にも関わらず自我否定、エゴ否定をしても意味がないんです。

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