目的がないと人と会えない

活発なエゴ活動

エゴは損得でしか動けません、損得、取引、利害これがないとエゴは動けないのです。何か人参をぶら下げてあげないと動けない、、、私も学生時代にそのような時期がありました。その当時はエゴの活動が盛んで盛んで、、目的がないと全くやる気が起こらないのです。慈しみのかけらもないのですから人と会う=楽しいが皆無です。だから何か目的を作って会うしかない、、しかも内面では孤独を抱えていますから、、会わないにも関わらず孤独という究極の矛盾の中に居るのです。

究極の理解にベクトルが行っていない

何者かにならないといけない、何かを達成しないといけない、、このようなエゴ活動が働いているとき、、それとは関係ない行動が取れません。メリットがないと動けないのです。ところがこれが崩れ興味が究極の理解にシフトしますと変わってきます、、、慈しみの感情が常に湧くんです人に対し。慈しみの感情が湧くから、、人に会いたいに変わります。

関心を変えてしまう

何者かになったり、何かを成し遂げても、、一瞬の至福しか手に入らない、、という気づきが起こりますと、、もう目指す何かがなくなります。もういい、もう辞めた、、です。もう頑張らないし目指さない、、が起こるんです。そのとき、、人は真理の理解に関心がいきます、それまで向かっていたエネルギーの全てが真理に向かうのです。もう自我活動にはエネルギーが向かいません、真理の探求にエネルギーが向かいます。そして本当に面白いことに真理に関心が向かえば向かうほどに人に慈しみの感情を持てるようになりナチュラルに人に会えるようになるのです。