人間に閉じ込められた神は都会を目指す

なぜ若者は都会を目指すのか??

人間に成り切った、人間のこの狭い空間に閉じ込められた神は、、、常に欲求不満です。見える世界である神がこの極小の体、思考、感情のみを「自分」と勘違いするわけですからこれはとんでもないことです。不快感極まりない、退屈感極まりない、孤独感全開です。これが人間の本質です。ここを勘違いすることでったのです人間の苦悩が継続されます。人間はそれゆえ欲望の塊です、私には欲が無い、、、としたら悟っています。恐らく嘘です。そこで若者は欲に突き動かされて都会を目指すのです。自分の欲を満たしてくれるのではないか、、、、という期待からです。

都会は確かにあらゆる欲望を満たしてはくれるが

都会は確かにあらゆる欲望を満たしてくれます。人との出会いも多く、チャンスも多い、何かアクションを起こそうとすれば、、そのきっかけがある。ですがそこでいかに欲望を満たし続けても一向にこの不足感は消えない、、なぜならばこの体を自分だと勘違いしているのが神だからです。神は神に戻らない限り絶対にこの違和感、不足感を解消してくれないのです。

あらゆる欲望を満たしても満足しない「自分、神」がいるという気づき

ここにいかに早く気づくかです。何を成し遂げても満足しない自分、何を成就しても満足しない自分、、、、この自分とは一体何か?化け物か???化け物どころか神です。餓鬼畜生の本質は神です。ここを理解しないと恐ろしいことになります。餓鬼畜生とは恐ろしい化け物ではなく、、、人間のこの体に閉じ込められた神だということ、、、つまり閉じ込められ切っているということです。勘違いがマックスに到達しているだけです。

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