分かると瞑想が始まる

根源からの現れを観察する「瞑想」

根源の理解が起こりますと、、日々の生活が瞑想に変わります。全現象が根源からの起りであるという理解、悟りは、、日々の生活を瞑想に変えます。それまでは人間活動がただ起こっていました、ですがこれからは瞑想が始まります。どういう瞑想か????あるがままの観察です。あるがままをあるがままに観察するという瞑想が始まるのです。

そこには環境をコントロールする自分が居ない

本当に面白いのですがそれまではこの環境に影響を与えることができる自分が居ると信じてきました。ですが根元の存在に理解が及びますと、、その自分の行動の全ては根源からの現れでしかなかったことに気づきます。環境に影響を与えていたというのは完全な勘違いでそれすらも環境の一部だったということです。環境と自分のキャッチボールはただ単純に反射でしかなかったっという突然の理解が起こるのです。

この自分の行動の全てが反射

この自分の行動が反射でしかないのならばこれらの全ては観察の対象でしかありません。外部環境、この自分、、全部が全部反射であって、、そこには何も自由意志の関与はないのです。そしてこの気づきの前も気づきの後も全く同じように反射が起こり続けます。ただし反射に振り回されるという苦しみが抜け落ち、、ただ反射を真の安らぎの中で観察するという状態が起こるのです。

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