吉本新喜劇

いまここ

いまここは完全に吉本新喜劇です、スクリーンがあってその中で現象がまさに今ここに現れています。スクリーンの中にこの体も現れ、、他人も現れ、、消えていきます。この体が主人ではなく、、このスクリーンこそが主人です。この主人の中にこの体という役、相手役、様々な人間が現れては消えていきます。そしてこれらの人々は、、勝手に動き、勝手に活動します。そしてまさかのこの体も勝手に思考し勝手に動いています。これが真実です。にも関わらず、、、自由意志があると思っているから、、この体に関心が異常に湧くのです。

全員に自由意志はない

吉本新喜劇の芸人さんに自由意志がないように、、このスクリーン上の人々にも自由意志は全くありません。ですから彼らをコントロールしようという試みは無駄に終わるでしょう。そして自分をコントロールできるという試みも無駄に終わるでしょう。完全に自動反応がただ起こり続けるのです。そういう意味では吉本新喜劇と何も変わらないのです、、、でその吉本新喜劇はお気楽で楽しいですよね????そうです、その目線でこのドラマを眺めるとお気楽で楽しいのです。

なぜ感情を感じれるのか????

吉本新喜劇では、、、芸人の感情を代わりにこちらが味わうことができません。ですがこのスクリーン上では、、この体から起こる感情思考をスクリーンが拾い感じます。「私」が拾ってはいませんよ、スクリーンが拾って感じているんです。それをこの体が感じている、、という大誤解が起こり、、、この「私」は深刻になるのです。本当はスクリーンが全部拾っているのです。スクリーンが拾えない思考、感情はあるわけがないのです。

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