「苦しみ」は功績とは何も関係がない

誰が功績を所有するか

功績というのは恐ろしいもので、、この世の中では誰かがこれを所有することになります。例えばボクシング世界チャンピョンの功績、、これを誰かが所有していますよね。そしてそれを疑問に思う人は居ませんよね。例えば井上チャンピョンは四団体の世界統一王座というタイトルを所有しますが、、その際に「井上」という人格、自我がこれを所有しました、、という周知の事実が誕生するのです。ところがこれの恐ろしいのは、、本当はその自我は存在しないために、、、強烈に誤解が強くなるのです。

この誤解

この誤解こそが「苦しみ」を大きくします。「私が居る」という大誤解こそがこの世界に苦しみを生み出すのです。だから功績はその誤解を強く強くするのです。世界チャンピョン、日本一、王座、、、、全部が全部この偽物の自己を最強レベルに導くのです。私って居るに決まってるじゃん!!!!が起こるんです。ですが本当はいないんです、思考として、感覚として一時的に現れる現象に過ぎないんです。

功績に殺される

それまでは誰にも注目されていなかったのに、、突然功績を手に入れ有名人に。そうなりますと、、、それを所有する自我がメキメキと現れ出し、、自我って絶対あるよね?????となります。これだけの功績を手に入れたんだから絶対に絶対にあるっしょ!!!となるんです、、、その自我、、、この自我の存在が出しゃばれば出しゃばるほどに、、、、生きるのが苦しくなるんです。そこを見抜きます、そのカラクリを見抜くんです、、すると苦しみが減ります、、必要以上に自我が出しゃばらなくなります。

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