ここ以外に至福があるという動きすらも

至福の動き

ここには絶対に至福はない、、だから先に先に進んで絶対に至福にたどり着いてやる!!!!この動きがまさに至福から起きます。?????至福を探しているのは自我で、、その自我が先に先にそれを探すという動きを作り出すのが「至福」という存在です。。。。意味不明、、そうです、、、、今不幸なのは、今苦しいのは実は至福が作り出したのです。

つまり

この不幸、この苦しみ、この辛さは、、、、、「至福」が生み出した至福発見ゲームなのです。本当に意味不明、原因不明、支離滅裂です。「至福」は意図的に自我を生み出し、、苦しみ、悲しみ、孤独、、あらゆる感情の全部を経験することに成功しました。「至福」は至福の中に自身の投影を作り出しその中に自我という完全分離感覚を作ることに成功しました、そしてそれによって「悲しみ、不足、孤独、憂鬱、からの嬉しさ、楽しさ、満足、幸福」という至福では絶対に味わえない全てを作り出したのです。

自我の勝手な動きなどあるわけがない

全部が全部を味わうために作り出したこの投影において、、、自我が勝手に活動を始めてしまっては味わえる経験が制限されてしまします。そのため自我は完全にノーコントロール、コントロールできる存在などこの世界には一切ないのです。それによって全感情、全思考、全行動、全観念を作り出すことに成功したのです。この場合の全とは無限の意味であり、、ゆえに我々は完全自動運転で無限の経験をすることになるのです。

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