自我に関心が向かないと

概念であっても

概念であっても知識であっても、、自我は幻、思い込みであることを頭で理解できますと、、自我の欲求を叶えることに関心は向かなくなります。そして今まで自我の欲求達成に向いていたエネルギーが真理探求に向かうのです。事実上自我に関心が向かない、、という状況になっていきます。すると、、自我は痩せ細っていき活力を失い、、益々真理の探求に意識が向くようになるのです。自我の欲求をいかに達成しても成就しても意味がないことは既に分かっているからです。

観葉植物

自我は観葉植物のようなものです、そこに関心が行けば行くほどに大きく成長しそのため欲求も大きくなる。ところが関心を向けなければ痩せこけていき、最終的には枯れて大地に再吸収されるのです。我々は自我を観葉植物として大切に大切に育て上げてきたのです。あらゆる敵から守り箔を付け最重要アイテムとしてこれまで扱ってきました。ですがその方法ですとほとほと疲れ果てたわけです。もう関心を自我に向けなくていいのです。

観察観照者になる

心の声が上がればこれまではその声を最大級大きく扱ってその声を満たすように動いてきましたが、、これからはその声をただ観察者、観照者として見ます。今思考が起きたな、、という感覚です。この声をしかり聞いて欲求を満たしたところで植物としての自我がより大きくなるだけなのです。大きな植物としての自我は多くの水を求めますから飢餓状態に突入します。

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