夢の中で解決しようとする動き

私が居るという感覚が苦しみを生み出すが

私たちはこの体の中に私が居るという感覚を何年もかけて生み出していくわけですが同時にそれは苦しみ、憤りを生み出します。そしてその苦しみ、憤りを「私が」所有することでこの「私」が解決しようという動きが起こります。つまり私というイメージ、感覚を覚えたことで苦しみが生み出されたにも関わらずそれをイメージの中感覚の中でさらにこれを解決しようとする動きが起こるのです。すると解決しようとするのはイメージ、感覚である「私」ですからまた苦しみ、憤りが起こるのです。

ラットレース

この「私」というイメージが、、苦しみを解消しよとすることでこの苦しみ解消劇場はラットレース化します。これを釈迦は「人生は苦」と表現しました。つまり人生とはラットレースですよ、、ということです。周囲を見渡せば当然ながらこの体の中に「私」が居るという大前提で動いています、つまりこのイメージの世界の住人なのです、全員が。そうなるともう解決方法は無いよね!!と諦めも起きるかもしれません。

ところが

ところが実際には、、「周囲もラットレースをやっている」というのがまさに思い込みなのです。周囲の人間もラットレースをしているように見える感じるだけなのです。これは最大のトリックです。周囲もラットレースで苦しんでいるのだから私も、、、がまさにイメージ化なのです。本当は全部イメージ、幻想なのでそれはないのです。今私が私という存在をイメージ、感じることでこの苦しみを所有しているだけなのです。

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