砂でできたお城

それを自分と思い込む思考

多くの悟り本で例えられる話、、砂でできたお城を自分であるという思い込み、、そして我々の本質は城ではなく砂そのものである。砂でできたお城は自我意識が芽生えることでこのお城を維持しようと努めるわけですがどんなにしっかりとこのお城を維持しても不足感が消えないわけです。それはそのはず本来は見渡す限りの砂そのものですから。ところが自身をお城と勘違いした自我は隣のお城を屈服したり、、周囲のお城から評価されることを望んだりと全く見当違いのことをするのです。それが人間です。

砂でありながらお城を守ることは可能なのか????

お城は自身をお城であると思い込むことでお城の維持に成功したわけですから、、、いまさら自身をこの広大な砂そのものであると思い出すことで、、、二つを両立することは出来るのでしょうか????できます、なぜならば砂でなかった時など一時もなかったからです。砂でありながらお城をやっていただけで砂であったことには何も変わりはないのです。お城であるために砂ではなくなっていたのならば再び砂にシフトすることで城ではなくなってしまいます。ですがそうではないのです。

城をやるのは演じていただけ

砂として城を演じる、、、これをやるのです。本当は膨大に広がる砂だけど、、便宜上、、城をやるのです。本当は西田敏行ですが便宜上ハマちゃんをやるのです。ハマちゃんと呼ばれすぎて西田敏行であったことを忘れていただけ、、、西田敏行が再び自覚的にハマちゃんをやればいいのです。その時西田敏行は釣りバカ日誌の映画の中で苦悩することはできなくなります。我々人間もこの夢の世界で苦悩することができなくなります。

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