至福に至ろうとするエネルギーがあるがままを隠す

探求の先にはない

どこに至福はあるのか??どこにあるがままはあるのか???この探求は自我のエネルギーの特徴です、探求者です。私がそれを見つけ出すんだ、、ですがこの見つけるというステージは確実に幻想の世界で行われるがために至福は見つかることはありません。マリオが必死になってスーパーマリオゲーム本体を探している状態です、画像の中で。画像の中にゲーム本体は存在しないのです、むしろ画像全てが本体の投影です。

探求を諦める

マリオが画面の中で至福(ゲーム本体)を探すのを諦めた時実は最もそれに近い状態にあります。マリオが必死になって探している間は絶対に絶対に見つからないわけです。探すという行為が自分(マリオ)以外を見てますからそれはもう分離のエネルギーしかないわけです。分離(マリオ)が分離を探している状態です。我々が唯一できることはこの仕組みを理解すること、ゲーム内での行為によって至るではなく仕組みを理解しゲーム本体にマリオが再吸収されるのを待つだけです。

あるがままへの誘い

今ここで感じる苦しみはあるがままへの帰還、誘いです。今苦しみを何十年間もこのゲーム内で解決しようと懸命に努力し、物理次元では解決できないと思うと情報空間、スピの世界で解決しようと努力しました。ですがそれらの努力は報われません、、この自分が何者かになろうとする努力自体がゲーム本体(あるがまま)への帰還を妨げるのです。この苦しみは自分という存在が起こしている、この事実に向き合うことです。自分という存在が苦しみを作り出すのです。

(Visited 3 times, 1 visits today)