誰にも救ってもらわなくてもいい

誰かに救ってもらわなくていけない人はいない

私たちはあるがままのアートです、神のアートです、ですから誰にも救ってもらわなくて必ず至福に至ります。至福が作り出したアートの一部ですから原料は至福なのです、つまり今苦しんでいること自体がゲームなのです。至福という原料で作り出したゲーム上で苦しいという感情を楽しむゲームをしているのです。そしてそのことを全員が本質的には分かっています。

幼少期は至福そのもの

私たちは幼少期至福そのものでした、自我が目覚めるまでは至福そのものだったのです。ところが自我が目覚めるとともに苦しみが襲ってきました、至福ではなくなってしまったのです。ですが全員が幼少期の至福感を覚えているのでなぜ私の人生はこんなふうになってしまったのか???と疑問に思っているのです。これが現実だから、これが人生だから、、、いやでも昔はこんなふうじゃなかったような、、です。

至福という原料で作り出した壮大なアート

この世界は至福という原料で作り出したアートです、核兵器も遠隔魚雷すらもまさかの至福という原料で作られています。ですからこの世界が争いが絶えなくても、、それさえもアートなのです。死人がでてもそれも至福が作り出したアートだということです。争いも親睦も競争も助け合いも全てが神、あるがままのアートです。そして自分自身と思っていた存在も神のアートに過ぎないことに気づくと自分が神に再吸収され至福に至るのです。

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